【第309回】 合気道の技とは(3回シリーズ) その3 技

形稽古で、技を生み出す仕組みの要素が生じてくるわけだが、その要素の塊である「技」がどういうものか、どうすれば技を生むことができるか、を明確に説明するのが難しい。

そもそも「技」とはどういうものなのか、説明するのは難しいようだし、これが技であると示すことなど、われわれ凡人には不可能に近いように思える。しかし、もしかするとそれとは逆に、もっと身近なものかも知れないとも思う。なぜならば、シリーズのその1で「合気道の技の形は、体の節々をときほぐすための準備です」(「武産合気」)と書いたように、我々はすでに技を形にして稽古していることになるから、形稽古の中で技は既につかっていることにもなる。

しかし、問題はその技の形、例えば、「正面打ち一教」の形の中のどれが技か、ということである。

技がどういうものなのかは、開祖が「合気真髄」(合気道新聞)や「武産合気」の中で説明されている。その中から、技に関するものを抜き出して研究し、自分の体で試し、会得していくしかないように思う。まず、そのいくつかを抜き出してみよう。

開祖は「円の動きのめぐり合わせが、合気の技であります」といわれている。技は円のめぐり合わせから生まれるから、手、体幹(腰腹)、足、呼吸などなどを、縦と横の円のめぐり合わせ、つまりコンビネーションで使っていかなければならないことになろう。確かに相手に持たせた手を縦と横の円で使うと、腕力以上の効果があるから、技であるといえよう。

また「技はその造化機関を通して科学化されて湧出してくるものである」といわれるから、技は造化機関である宇宙、そして人体で生み出されるものである。

また、「技はすべて宇宙の法則に合していなければならない」ともいわれる。つまり、合気道の技は、宇宙の法則に則った法則性を有していなければならない。技は宇宙の法則に反せず、宇宙の法則にシンクロするものでなければならないのである。

また、開祖は「その当時は私の体には力が充実し、融通無碍、神変自在の技が自然に生み出してきて、数えれば何万種の技を自由自在に行っていた」ともいわれている。つまり、技は融通無碍、神変自在に生み出されるといわれるのだ。

ということは、合気道の技というのは、形が決まった固定化されたものではなく、自然に生み出されるものだ、ということになるだろう。

開祖がどのようにして、技をこのように融通無碍、神変自在に生み出されたかというと、「天地の呼吸に合し、声と心と拍子が一致して言霊となり、一つの技となって飛び出すことが肝要で、これをさらに肉体と統一する」とか、「天の気によって、天の呼吸と地の呼吸を合わせて技を生み出す」ということにあるようだ。つまり、天の気や天地の呼吸など、宇宙と一体化し、宇宙の営み、宇宙の響きに合わせて技を生み出されていた、ということだろう。

開祖は技(わざ)を道歌にうたわれている。

ではこの辺で、シリーズの最後として、技とは何かをまとめてみたいと思う。もちろんこの考えは、今日現在のものであり、稽古をしているうちに変わるかも知れない。

「技」とは、 等などである。

宇宙との一体化こそ合気道の目標であるはずである。宇宙の一体化ができるということは、宇宙の響きと響き合い、交流ができることであり、合気道の目標に到達したことになる。これを開祖は「この山彦の道がわかれば合気は卒業であります」といわれているのであろう。

つまり、真の技が生まれるようにならなければ、合気道は卒業できない。だから、卒業するため、また、卒業に少しでも近づくために、技の練磨をしなければならないのである。