【第270回】 宇宙は自己の内にあるとは

開祖は「この私の中に宇宙があるのであります。すべてがあるのであります。宇宙が自分なのであります。」(『武産合気』と言われている。また、タカアマハラとは全大宇宙のことであるが、「タカアマハラも自分にあるのであります。天や地をさがしてもタカアマハラはありません。タカアマハラを天や地に尋ね求めるより、まず自己に尋ね求めることです。」と言われている。
つまり、宇宙を知るためには自分を知る事である、と開祖は言われているのである。

宇宙が自己の内にあることが分かれば、宇宙との一体化ができたことになるから、合気道の目標が達成されることになるはずである。宇宙を知るのにロケットで飛び回るのもよいだろうが、自分の中のタカアマハラを尋ねるほうがよいだろう。何とか宇宙が自己の内にあることを実感したいものである。

唯識理論では、阿頼耶識(あらやしき)という無意識の世界があるという。阿頼耶識とは、「底無しの底」というような、どろどろしたカオスの世界で、無ではなくて有ではあるが、何ひとつ「もの」が形をなしていないと言われる。

このようにカオスの状態では、「もの」はわからないが、幸いなことに「もの」がわかるようになるための「種子」(しゅうじ)がそのカオスには含まれており、その「種子」をうまく引き出せば、「悟り」の境地が開けるというのである。インドのヨガの行者は、この「種子」を引き出すために、厳しい行をしているらしい。

阿頼耶識を大宇宙と対比してみると、宇宙は無限であるし、阿頼耶識は「底無しの底」であり、宇宙は暗黒物質のような、無ではなくて有ではあるが、形を有していないカオスであり、阿頼耶識も上述したようなカオスである。

また、大宇宙は万物を無から生み出しているように、阿頼耶識もなにかものを生み出しているようである。

言語学者であり哲学者である井筒俊彦氏は、「阿頼耶識とは、第一義的には、意味が生まれて来る世界なんです。意味というのは、存在じゃない。存在じゃなくて、『記号』なんですね。つまり、記号が生まれて来る場所。それが言葉と結びつくと言語阿頼耶識になる。」と言っている。

つまり、「阿頼耶識は言語を志向している浮動的流動的な意味単位の群れが自己顕現しようとして、いつも動いている内的場所であり、自己顕現して、たまたま因縁が合えば経験的な存在の世界になってあらわれてくる世界」ということのようだ。

開祖は、よく古事記の文章を引用されたり、△○□という言葉を遣われたり、神様の名前を使われて合気道のご説明をされたが、我々には理解できなかった。もっと平易な言葉で説明して下さったらよかったのにと思ったものだが、これで、どうして開祖はあのように話されたのかが、分かるのではないだろうか。

それは開祖は、底無しの底の阿頼耶識から湧き上がってきた記号を言葉に結びつけて、お話しされたのだろうと考えられるからである。

そして、開祖の言葉は、また宇宙からの言葉ということになり、言霊ということになるのだろう。そこで「この私の中に宇宙があるのであります。すべてがあるのであります。宇宙が自分なのであります。」となるわけである。

参考文献
『武産合気』植芝盛平
『二十世紀末の闇と光―司馬遼太郎と井筒俊彦との対談』
※井筒俊彦 (1914-93 言語学者、哲学者、慶応大学教授、イラン王立哲学研究所教授 他大学教授)