【第265回】合気は万有万真の定理を明らかにする

合気道は技を練磨しながら精進していく武の道である。初めは技の形をなぞって、技の形を覚えて、これが技だと思うものだが、だんだんこれが真の技でないことが分かってくる。合気道の技は、宇宙の営みを形にしたという深遠なものであるので、5年や10年で身につけられるようなものではない。

開祖が苦心されてつくられた合気道の技の形も、宇宙の営みに則ったものであるあるから、宇宙の営みに合わせてやらなければならない。そのためには、宇宙の営みとは何かを考えなければならない。

宇宙の営みとは、宇宙の条理とか宇宙の真理とも言えるだろう。真理であるから、誰でもどこでも、というより万有万物が納得できる定理や法則であるはずである。

合気での技の鍛錬は、この定理や法則を見つけ、体で試し、試行錯誤して身につけ、そして定理を明らかにしていくことだろう。これを開祖は、「武産合気は宇宙の営みのご神意に神習い、万有万真の定理を明らかにする祭政一致の本義であります」(「武産合気」)といわれている。

しかしながら、合気道の形をなぞっただけの稽古をいくらやっても、万有万真の定理を明らかにすることは難しいだろう。もう一段深く掘り下げ、次元を替えて技の鍛錬をしなければならない。そのためには、「技」とは何かをもう一度考える必要があろう。

開祖は、技とは「技を生み出す仕組みの要素」と言われているようである。この技要素は、技を生み出す仕組みを有しており、万有万真の宇宙の法則を有しているはずである。相手が誰であろうが、技(の形)が変わろうが、技を生み出すシステムが働き、技が活きて来るはずである。力がない相手や初心者には効くが、ちょっと力を入れて持たれたり、体力のある相手に効かないようなら、万有万真の定理ではなく限定的定理ということになる。

合気の稽古とは技の練磨であるが、技の練磨とは技要素を会得し、万有万真の定理を明らかにし、それを身につけていくことのようである。その定理に則って技をつかえば、その技の形には法則性があるはずなので、無駄なく美しく、説得力があるはずである。

その結果、相手は喜んで倒れてくれることになり、その定理は正しいことになる。そうでなければ正しくないわけだから、次の定理を見つけなければならない。この試行錯誤を繰り返すことが技の練磨ということになるだろう。

技の練磨に終わりがない。宇宙の法則、万有万真の定理は無限にあり、人智の及ばないものだからである。