【第253回】 宇宙を腹中に胎蔵する

合気道は奥が深く終わりがないと言われるだけあって、殊更に大きい。対象相手が、宇宙なのである。「合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、『我はすなわち宇宙』なのである」と開祖はよく言われていたわけだから、宇宙が腹の中に収まるように修行しなければならないのである。

かつて大先生(開祖)がよく「宇宙が腹中にある」などとお話しされていた頃には理解できてなかったし、またそんな出来そうもないことは我々には関係がないと聞き流してしまっていた。今では、大変ご無礼してしまったと反省すると同時に、大事なお話を聞き流してしまったことが残念であると悔やまれる。

大きな仕事をする人は、常人には気がつかないような繊細で小さなことも疎かにしないし、またとてつもなく大きなことも考えているようだ。つまり両極端の幅が大きいのである。

合気道開祖の植芝盛平翁も、常人にはない超繊細な面、例えば、感覚や思いやり等、と宇宙を腹中にいれるとか、宇宙と一体化する等と、宇宙規模の心を持たれていた。だからこの繊細で宇宙規模の膨大な合気道をつくられ、残すことができたのであろう。

天下をとった豊臣秀吉も、織田信長に認められるような繊細な心の持ち主であったが、天下を取れるような大きな心ももっていたようだ。秀吉がどのくらい大きな心をもっていたかが分かるものがある。それは秀吉が天正18年(1590年)、小田原城にある北条父子を兵糧攻めにしていた際、退屈しのぎに歌合戦をしたときの歌である。一番大きな歌を詠ったものに褒美をやるというものである。

徳川家康、福島正則、前田利家、上杉景勝、蒲生氏郷と次々と詠っていき、だんだん歌が大きくなってきて、そして加藤清正が次のように詠んだ。

須弥山に 腰打ちかけて おお空を
ぐっと呑めども 喉に触らず

しゅみせん。世界の中心にそびえる高山)

一同感心し、これ以上に大きい歌はないでしょうと言うと、秀吉は自分のはもっと大きいといって次の歌を詠んだ。

東西の地球を小脇に抱えつつ
月をば呑んで 太陽を吹く


これで秀吉が優勝かと思われたが、秀吉のお伽衆であった曾呂利新左衛門が手を上げて詠んだ。

地球をば ちょっと丸めて 手に載せて
つまんで吹けば あとかたもなし


曾呂利新左衛門が一番おおきいということで、秀吉は負けてしまったわけだが、秀吉や武将たちはこのように大きな心ももっていたわけである。

当時は今の宇宙という考えはまだなかったわけだから、地球とか月星とか太陽のレベルが当時の宇宙のだろう。従って、彼らは宇宙を腹中に収めていたということができるのではないだろうか。

地球や太陽、宇宙は腹に収まらないが、入らないこともない。心は自由であり、無限であるからである。合気道の修行、技の練磨において、開祖に近づくべく、昔の武将のように、宇宙を腹中に胎蔵するようにしていきたいものである。