【第246回】 武産合気(たけむすあいき)

開祖のお言葉によれば、合気道は時代に即して、というより、時代を先取りして時代を先導するものでなければならないので、どんどん変わっていかなければならないことになる。合気道は宇宙の法則を技にしているわけだが、その宇宙が生成化育しているから、合気道も変わらなければならないということであろう。この点は、技は変えてはいけないという他の武道や柔術などと、大きく異なっている。

合気道は、開祖がつくられたときから、どんどん考え方も技も変わってきている。それは、写真や映像を見ればよく分かるし、名称が変わってきたことでも分かる。

つまり、合気柔術、合気武術、合気武道、合気道と名称が変わってきたのである。この名称からでも分かるように、当初は柔術で敵を制する術を合気柔術や合気武術として、次には、柔剣道と同じように一般的な武道としての合気武道、そして、神ながらの道として合気道と、考え方や技が変わってきたのではないかと思う。

しかし、開祖は晩年、よく武産合気という言葉を使われていた。合気道もよくわからないのに、武産合気など更に分からないまま、ただ稽古を続けていた。

今でもよく分からないことであるが、ある時、稽古時間中に大先生が道場に入ってこられて、例によってちょっと技を示されたが、その時「もし、ちょっとでも力がはいったなら、わしは合気道をやめる」と言われたのである。一瞬、稽古人達はポカンとしてみんなで顔を見合わせ、そして大先生(開祖)がどうされているのか、力が入っているのかどうか、技を見ていたが、別段いつもと変わったことがないように思われた。力が入っていたのか、いなかったのか、稽古人の誰にもわからなかった。もちろん大先生はその後も合気道を続けておられたから、そのとき力は入っていなかったのだろう。

当時よく分からなかったのは、「合気道をやめる」というお言葉である。当時は、大先生はもしかするともう道場にもお見えにならず、本当に合気道修行を引退されるおつもりだろうかとも考えた。しかし、大先生はそんな悲痛なご様子ではなかったし、その後も以前とお変わりなく我々にご指導して下さっていた。それで、何か違った意味で言われていたのではないかと思うようになったが、それがどういう意味だったのかは、最近まで分からなかった。

今では、「合気道をやめる」はもしかすると「合気道はやめる」の聞き違いか、または大先生は「これまでの合気道はやめる」という意味で言われたのではないだろうかと考える。なぜなら、大先生はこの頃すでに次の段階に入られておられたはずだからである。つまり、合気道のさらなる段階、いわゆる「武産合気」の次元である。

合気道と武産合気はどこが違うかを、独善的に一言で言ってしまうと、合気道はまだ人間を対象にし、武産合気は人ではなく宇宙を対象にしたものということができるのではないかと思う。その理由の一つは、私が入門した昭和37,8年頃までは、開祖は杖や剣を2,3人に押させて合気の力を示されていたが、その後(「合気道はやめる」と言われた頃)は、杖や剣を持たれても、人に押させることはせずに神楽を舞うようになられて、神様との交流を楽しまれているようであったからである。

また開祖は、合気道の技は大東流柔術からのものではないともいわれていたが、この時点で合気道はすでに武産の合気道になっていたと言えよう。武産合気とは、ことごとく神代からのみそぎの技を集めたものであり、宇宙の法則に則った宇宙と結んだ武道になっていたのである。

「「ウ」は浮にして縦をなし、「ハ」は橋にして横にして横をなし、二つ結んで十字、ウキハシで縦横をなす。その浮橋にたたなして合気を産み出す。これを武産合気といいます。」(合気真髄)
最早、これまでの相手を倒すとか制するという次元は超えて、合気道は次の次元の武産を包含したものになっていたのである。

このように、開祖が居られた時でさえ、合気道は大きく変わったし、さらに変わろうとしていた。宇宙が完成に向かい生成化育するかぎり、合気道も変わっていかなければならないのかも知れない。

参考文献  『合気真髄』