【第227回】 技との対話

合気道では技を練磨して精進していくが、ただ稽古を続けていけば技を練磨できるわけではない。

技の練磨には、二つの意味があるだろう。一つは、身につけた技を繰り返しやり、要らないものを削り落し、不足しているものを補い、練り磨いていくこと。もう一つは、新しい技要因を見つけ、古い技から脱皮していくことである。

そのためには、技の練磨の稽古で、自分自身を極限の状態においてやらなければならないはずである。日常生活を引きずったまま気楽な気持ちで稽古するのでは、真の練磨は難しいだろう。道場に入るまでの儀式をしっかりやり、体調を最高の状態にし、息を整え、俗なことを忘れて精神の集中をはかり、そして技の練磨の稽古に臨まなければならない。

相対稽古では、技を掛け合って技を練磨していくが、上達はいかに集中して稽古ができるかに掛かっていると思う。合気道の技は、宇宙の条理に則った姿であると言われるので、非常に精妙である。1センチ、1度、1秒のずれがあっても上手く掛からないはずである。よほど集中して技を掛けていかなければならない。

集中するということは、技以外のこと、例えば、相手を倒そうとか、極めてやろうとか、いいところを見せようとか思わず、また恐れや焦りに煩わされることもなく、技だけに集中することである。

技に集中すれば、技との対話が出来るはずである。技が、これはよいとか悪いとか、又、こうした方がよいとか言ってくれる。あとは、技の啓示に従っていけばよい。

合気道の技は、宇宙の営み、宇宙の条理と言われるから、技との対話とは宇宙との対話ということができるだろう。合気道の稽古をして、宇宙と対話できるのである。こんな素晴らしいことはないだろう。