【第223回】 技とは

合気道は合気道の技を稽古して精進する。誰でも稽古を初めた頃は、先生が模範で示す技が何なのか分からず、先輩に教えてもらいながらやっていたことだろう。当時は先生がちょっと示した技を、先輩たちがすぐ、しかも間違いなくやるのを見て、大したものだと思ったものである。

しかし、今になると、それほど驚くことではなかったことが分かる。先生はたいてい、それほど多くはない基本技を示しているので、何回かやれば、その技がなんであるか分かって出来たわけである。従って先輩でも、先生がたまに応用技や変わった技をされると、自分の知っている技の分類にないので、入門早々のときのように、先生がやった技が見えなくて、おたおたしてしまったものだ。

「技」とは、一教、四方投げ、入り身投げなどに、相手の攻撃方法である"取り"と、攻撃する人数"掛け"を組み合わせたものである。従って、例えば、「片手取り四方投げ」を覚えたら、「片手取り四方投げ」という技ができることになる。そして、少しでも多くの技を身につけようと、稽古に励むのである。
しかしながら、この段階で"技"と思っているのは"技の型"である。技の稽古をしているつもりでも、型を覚えようとしているのである。しかも、例えば「片手取り四方投げ」という技の形(かたち)をなぞっているにすぎない。

合気道の基本技の数はそれほど多くないので、"技の型"を覚えるのにはせいぜい2年もあればいいだろう。
しかし、合気道の稽古には終わりがない、といわれるし、まさにその通りだと思う。実際、多くの稽古人が10年も20年も、さらに40年、50年も、続けているのである。"技の型"だけをやっていたのでは、飽きてしまうし、稽古を続けるのもつまらなくなるだろう。実際に、永遠に続けなければならない稽古を、途中でやめていくのは、"技の型"を技と考えて稽古していたことによると思う。

合気道の技は、宇宙の真理に従い、万有の条理を形したものであるといわれる。"技の型"をなぞっている人の技、例えば「片手取り四方投げ」の"かたちや姿"が、宇宙の真理に従い、万有の条理を表しているとは思えない。宇宙の真理に従い、万有の条理を明示するものは、単なる"技の型"ではなく、もっと深いものだと考える。

技が上達してくると、宇宙や万有の条理と思われる法則を取り入れていくようになる。例えば、陰陽、十字、螺旋、真空の気、空の気などなどである。私はこれらの宇宙や万有の条理と思われる法則を"技要因"と呼んでいる。一つの技、例えば、「片手取り四方投げ」は、恐らく無限の"技要因"で構成されているはずである。上手な技、いい技とは、この"技要因"を沢山もっているということになるだろう。

この段階での「技」とは、技要因、つまり宇宙の法則ということになろう。合気道の技の型、例えば、「片手取り四方投げ」などを通して見つけていくことだろう。合気道の技の型は、宇宙の法則を見つけやすいように出来ていると思うし、それを体得させてくれるものは他にはないだろう。改めて感心するとともに、合気道に出会ったことに感謝する。

従って、"技"とは、"無限の技要因で構成される技の型"ということが出来るのではないだろうか。とすると、合気道で技の練磨をするということは、合気道の技の型を繰り返し稽古しながら、宇宙の真理である技要因を見つけ、技に取り入れ、身につけていくことであろう。

また、この練磨を続けることによって、宇宙の真理や条理が身につき、宇宙と一体化できる道にのることができるのだろう。そしてこの道を、合気道というのではないだろうか。