【第220回】 「宇宙生成化育」と「一隅を照らす」

合気道の教えでは、人は宇宙生成化育のお手伝いをするために誕生し、生きているという。それゆえ、人はみな宇宙生成化育のための役割をもっていることになる。その役割を使命という。従って、自分の使命に気付かなかったり、その使命を果たさないことは、宇宙(天又は神ともいう)に対する大罪であるという。
そうだとすると、多くの人は大罪を犯していることになるのかもしれない。なぜなら、ほとんどの人は自分に使命があるなどと考えもしないだろうし、あるとしても、自分の使命が何なのかもわからないだろう。

開祖は、合気道は各自の使命を導く羅針盤であるといわれている。合気道を修行することによって、それが分かると言うのである。
かつて開祖のもとには多くの著名人が、開祖の教えを乞いに集まった。(写真)

軍人、学者、芸能人、皇族、宗教家、芸術家、相撲家・・・などなど武道以外の分野からも多くの人達が集まった。彼らは武道の稽古で技を磨いて強くなりたくて稽古をしていただけではないはずである。強くなりたい、体を鍛えたいということもあっただろうが、それはむしろ二次的なもので、彼らにとって開祖のところにくる最大の理由、つまり最大の喜びと感動は、自分の使命を確認し、その使命を果たしていかなければならないと再確認することではなかったと考える。これが、「合気道は、天命を完成させてあげる羅針盤(『武産合気』)」ということであろう。

著名な人達だけが、宇宙(天や神)から使命をもらっているわけではないはずだ。宇宙はそんな無駄なことはしないだろう。それより人すべてに使命を与えた方が、宇宙生成化育にはベターであろう。

それに実際、人は各自それぞれの使命を持っているように思える。世の中は、すべてが隙間なく連携している。そこでは、各自の使命が積み木細工のように連なり合っているように見える。そこに隙間が出来れば、またはあれば、人はそこを新たな使命の積み木細工で補おうとする。これは宇宙がつくった人の性、習性だろう。ビジネスでも、研究テーマでも、論文でも、またノーベル賞や何とか賞なるものは、その隙間を補ったものであり、そしてそれが評価されて、利益や名誉が与えられるのである。

使命の積み木細工が隙間なく連なって地球楽園をつくり、宇宙を生成化育するには、一人でも多くの人が参加しなくてはならないはずである。著名人や優秀な人達だけでなく、普通の我々一般人も参加協力しなければならないわけだが、実際には、ほとんどすべての人達がその使命をはたすべく一生懸命生きているといえるのではないだろうか。

まず、世の中に一生懸命生きていない人などいるだろうか。一見ぶらぶらしたり、仕事に行かなかったり、昼間から酒を飲んでふらふらしている人もいるが、彼らはそれなりに出来るだけのことをしているし、なんとかしなければならないと、あがき、一生懸命やっているはずである。

「高齢者のための合気道 第219回 『一隅を照らす』」にも書いたが、叡山を開いた最澄の言葉に、「一隅ヲ照ラス、コレ国宝」がある。目立たないが、世間の一隅にあって不断の灯火を絶やさずにいるひとびとは素晴らしく、国の宝であるといっている。仕事をする人も、子供を育てる人も、修行に励む人も、国の宝なのである。普通一般の人々はまさしくこの国宝であるし、また国宝を目指しているといえるのではないだろうか。

この一隅を照らすということは、自分の使命を一隅に見つけ、その一隅の使命を少しでもよく果たすべく生きていることであり、自分、つまり人間の可能性を少しでも広げようとしていることになるだろう。
そして、この人が一隅の使命を果たしていくことこそ、宇宙生成化育のお手伝いをするということになるのではないかと考える。つまり、一隅を照らす人達も、宇宙生成化育の大事なお手伝いをしているということである。

一隅でよい。使命を見つけ、それを信じ、宇宙生成化育のお手伝いをしていきたいものである。