【第218回】 宇宙の真理に従う

合気道の修行は、真善美の探求ということもできるだろう。真善美の備わる技を身につけていくのである。しかし、どんな真善美をつけていかなければならないのか。どうすれば真善美を身につけることができるのか。何を基準にして、真善美を探求していけばよいのだろうか。

稽古で身につく真善美は、真、善、美とバラバラなものではなく、私のイメージとしては、団子のように一つに固まっているものと考える。なぜならば、真の真や善は美しいし、また真に美しいものは真であり善であるように、いわばひとつのものを別な角度から見ただけの違いだと思うからである。

稽古していて、自分や相手がやる技が、どれだけ真や善であるかを認識するのは難しいだろうが、美で評価することは少しは容易であると思う。それ故、美を見れば美の程度によって、団子になっている真と善の程度がわかるのではないだろうか。従って、ここでは「美」に焦点を合わせてみたいと思う。

人類は何か絶対的なものを求めて生存しているように思える。そのひとつに、飽くなき美の追求がある。美しいものは、時代が変わっても、民族や地域が変わっても、美しいと評価をうけるし、人は常にそのような美を探求しているようだ。

人類が追及している美には、何か法則があるようだ。例えば、黄金率である。黄金率は古代より「最も美しい」とされる比率である。その比率は「1.618033・・:1」で、この「1.618033・・」を黄金数という。この記号をφ(ファイ)であらわす。この黄金数で美しいといわれている建造物として、ギリシャのパルテノン神殿(写真)が有名であるが、その他にもこの黄金数は、自然界の植物の葉の並び方やヒマワリの中にもあらわれるという。(『Newton』2010.6月号)

また、葉が最も高密度にばらつく角度は、約137.5度の黄金角というものがあるし、植物の茎につく葉の数やイチゴや松ぼっくりやパイナップルの集合果の螺旋の列の数は、フィボナッチ数(注:1,1ではじまり、「前の2項を足すと次の項になる」という数列)の法則に則っているという。フィボナッチ数のとなりあう数の比は、数が大きくなるにつれて黄金数に限りなく近づくという。(同上)

自然、つまり宇宙には、何か絶対的なもの、真理があるはずである。そして、科学も芸術もその真理を求めているのであろう。合気道においても宇宙の真理を探究し、技に還元していかなければならない。

開祖は、合気道は「宇宙の美しき御振る舞いの貴い営みの御姿を明示する律法である。合気道を修行する者は、また万有万神の条理を、武道に還元することが大切なこととなってくるのである。それは万有万神の条理から来る真象を眺めることである。」といわれているのである。

参考文献  『Newton』2010.6月号