【第214回】 十字道

開祖は「十字つまり合気である」とし、合気道を十字道とも言われている。そのことは、「天地の精魂凝りて十字道 世界和楽のむすぶ浮橋」などの道歌にも歌われている。
天地と水火の十字の交流に生み出される言霊の響きによって、宇宙万物が生成されたとし、それに習うことが合気道であると言われるのである。

宇宙万物は十字から生み出されたのだから、宇宙で生成されたものは十字でできているし、また、十字に機能するようにできているはずである。
宇宙万物で生成されたものに人間があるが、確かに基本的には十字に出来ているし、十字に機能するようにできていると思われる。
胴体を中心に、上肢は両肩を結ぶ横の線であり、足の向きは前を向き両肩の線と十字(直角)になっている。

また、手のつくりと機能を見てみると、手の平は左右(水平とする)に動き易すく、次の小手はその動きに対して十字の垂直の上下、次の二の腕は、また小手の動きに十字となる左右水平と機能するように出来ている。
また、この二の腕、小手、手の平を一本として横に伸ばしたところから、手を上に上げるには、真横に伸ばしたところからは上がらないので、90度内側(胸前)に水平に回し、そこから今度は垂直に上げる。更にその手を上に上げる場合は、脇を横に開いて、そして垂直に上げる。つまり、手は十字々々で生成されており、そして十字々々で遣うようにつくられているようである。

合気道は宇宙の営みを技にしたものであるといわれるから、技は十字でできているはずだし、十字に遣わなければ技にならないようにできているはずである。

確かに技を掛けて効く効かないは、十字になっているかどうかがポイントの一つといえる。特に、技をかけるはじめと技をきめる最後のところは十字になっている必要がある。掴ませた手は掴んだ相手の手と十字(直角)になるとか、正面打ちや横面打ちで打ってくる相手の手とこちらの手は接点で十字になるとか、また、二教や小手返しで相手の手首は十字(直角)に返さなければ効かない。また、腰投げでも入るにも投げるときも十字でないと技にならない。

十字というのは、動きにすると円や螺旋ということになる。手首でも縦と横に動かせば円になる。ここにも十字の重要性がある。
足も撞木(十字の変形)で進み、腹をその足先の方向に向けるように進んで行けば、体は円を描くことになる。それに、足で上下の動きを加えれば螺旋になる。また。その動きに腹と結んだ手を遣えば、手の軌跡は螺旋になるはずである。

手の十字がしっかり遣えるようになると、相手がくっついてしまい、相手と一体化できるようになる。合気道は引力の養成であり、敵をつくらないことだから、相手と一体化するのが正しいことになるだろう。相手が自分の一部になると、自分を敵として争う必要はなくなる。

手の十字が遣えれば、相手が掴んでいる手が強くても軽くても、その手に対してこちらの手を十字にちょっと動かすだけで、相手がくっついてきてしまうようになる。

触るか触らないかで十字を遣うわけだから、相手は力で引っ張り込まれたわけではない。相手の心がこの十字に働いたということになろう。人の心は宇宙が生成したものには素直に反応するはずだし、十字は宇宙が生成しているものだからであろう。

十字の技を身につけていけば、宇宙が少しずつわかるのではないだろうか。これが合気の道、十字道というのだろう。