【第211回】 三元と合気道の実行

一霊四魂三元八力や呼吸、合気の理解なくして合気道を稽古しても、合気道の本当の力は出てこないだろうと、開祖は言われている。第210回で「一霊四魂三元八力」について、一霊から八力までの流れを大雑把に書いてみたが、一霊、四魂、三元、八力の各々の説明と合気道の稽古との関係の説明が必要だと思われるので、今回はこの内の「三元」を解釈してみたいと思う。

三元とは、一般的に流、柔、剛と言われるが、合気道ではこれに気を加える。三元とは物質(魄)であり、その働きであるようだ。魄の三元に対するのは四魂の魂で、霊である。

開祖が言われるには、流とは流体素であり動物の本性であり、柔とは柔体素で、植物の本性又肉体のように柔らかいものである。剛とは剛体素で、大地や岩石のような固いもの、鉱物の本性である。気はこれらの上にあって、三元は気によって活動しているという。

「気にも剛柔流の働きがあり、そして動いている」と言われているから、流にも柔にも剛にも、剛柔流の働きがあることになる。確かに流体の水も、湯気になって飛んでいったり、液体になって流れたり、固体になって固まったりするし、鉄のような鉱物でも、熱く熱せられれば液体にもなるし、気体にもなる。
剛柔流の働きには又三つの働きがあり、それを生結(イクムスビ)、(足結タルムスビ)、玉留結(タマツメムスビ)の働きといい、これは△、○、□であるという。

流の水をこれにあてはめてめると、湯気は△で生結(イクムスビ)、流れている水は○で足結(タルムスビ)、氷りは□で玉留結(タマツメムスビ)ということになるのではないだろうか。

我々人間は、血液や動物の本性である流素体の流も、柔らかい肉体の柔も、そして骨のような剛も有している。人間の体は剛柔流で出来ていることになる。技の練磨で技が上手く遣えるためには、自分の体が各々の剛柔流の役割を果たすよう働いてもらうことだろう。

そして又、剛柔流の各々の部位をさらに剛柔流で機能するようにすることだろう。剛の骨や柔の筋肉などはより強固に、そして柔軟になるよう鍛えることである。

そして、これらがより活動するために、気(心)も鍛えられなければならない。体を剛柔流で自由自在に操る心であり、また、逃げない負けない心、やさしい心、相手を思いやる愛の心である。

この三元の体と心の流(△)、柔(○)、剛(□)を、先ずは△は△で練り、○は○くなるように、そして□は□になるように練らなければならない。三角法で進める柔軟で強靱な体をつくり(△)、自分が宇宙の中心になるよう(○)、そして盤石(□)に技を収めることができるように鍛えるのである。

次に、この△○□を一つにしてしまうのである。早くでもゆっくりでも、強烈にもやさしくも、自由自在に出来るような体にするのである。これを開祖は、 といわれている。
そして と丸く円になることが合気道の実行といわれている。これを練ることを鍛錬というのだろう。
すべてを練りこんで円くするのである。ここに合気ができることになるという。何故ならば、「△○□の気の熟したるを合気」と、開祖が言われているからである。合気が出るようになれば八力が働くようになるわけである。