【第155回】 五体の響きと山彦の道

合気道の構えは「心を円く体三面に開く」とある。円い心とは、道歌の「天地(あめつち)に気むすびなして中に立ち心がまえは山彦の道」(『合気道開祖』)にあるところの「山彦の道」の心であろう。しかしながら、この「山彦の道」を理解し、自得するのは容易ではない。「五体の響きが宇宙とこだまする山彦の道こそ合気道の妙諦にほかならぬ。この山彦の道がわかれば合気は卒業であります。」と開祖が言われるように、この「山彦の道」は卒業試験のような大事なものであるからである。

「山彦の道」とは五体の響きが宇宙に同調し、振動し、共鳴し合うことであろう。また、宇宙の響きが五体に響くことでもあろう。五体の響きとはなにか考えるに、五体で響くものを考えてみると、響きを発するものと響きを感知するものに分けられるだろう。

体で響きを発する典型的なものは、口である。言葉や掛け声や気合を掛ければ、響きが起る。意(意志、念、心)も、見えも聞こえもしないが、響きを発するようだ。モノに働きかける念力はあるようだし、最近では人の念(脳波)でロボットを自由に操縦できるようになった。また体も振動し、響きを発するといえよう。

体で響きを感知するのは、耳と体(身)、そして心であろう。耳では音を聞くことができるし、体では相手の力や温度などの響きを感じ、心では相手の気持ちや揺れを感じることができる。技を掛けたとき、相手に持たれた手を通して力と意を流し込むと、相手の力と意がはね返ってくるのを感じるが、これも体の中における「山彦の道」と言えるだろう。

合気道の稽古は、この響きを発し、そして感知する機能を洗練し、開発することであるともいえる。最初は人と人との響き合いの稽古からはじめ、次に周りの自然との響き合い、そして宇宙との響き合い、つまり「山彦の道」を目指すということになるのではないだろうか。

密教でも「山彦の道」と同様な修行があるようだ。密教修行の最終目標は即身成仏といわれるが、これも神、宇宙との同調と言う事ができるだろう。密教での修行には三密という方法がある。三密とは、身、口、意のことである。身、口、意とは具体的にいうと、「手印、真言、観想」となる。

合気道も、真言にあたる「気合」(最近は無声の気合となっているが)と「呼吸」、観想にあたる「開祖や自分の先生のイメージを持つ」、手印にあたる「技」として修行しているといえよう。密教がこの三つで宇宙の響き(波動)と同化できるとすれば、同じように行なっている合気道でも、宇宙の響きと同化できる可能性があるはずである。

合気道は「山彦の道」であるというと何か難しいようであるが、もしかすると意外と単純なものかも知れない。何故ならば、真理というものは単純明快なものであるはずだからである。

日常生活で響きを感じるものとは、話し声、音楽、動物や鳥の鳴き声、地震などである。地震は気持ちよいとは感じないが、その他の響きは気持ちよく感じたり、感動したり、癒されたりするものである。なぜ気持ちがよいのか、感動するのか、癒されるのかを考えてみると、そこにはなにか大きな理由があるように思える。なぜならば、そのような響きの感動や快感は、民族、性別、年齢、時代とはあまり関係ないからである。

響きから感動を受ける、快感を覚えるものは、その響きが「宇宙の響き」と同調、同化しているということができるのではないだろうか。すると、人間が感動し、快感を覚えるものは、同じ地球上だけでなく、宇宙の他の天体の生物、無生物も感動、快感を覚えるのではないだろうか。

響きは大事である。しかし、響きは宇宙との共鳴、「山彦の道」でなければならない。宇宙の響きを感じ、五体の響きを宇宙と同調させたいものである。

参考資料  『合気真髄』