【第147回】 宇宙組織のからだ(人体)

人はだれでも森や林や山、川や海などに身を置くと、気持ちがやすらぎ、よい気分になるものだ。逆に、コンクリートや合成樹脂などでできた街や家にいると、なんとなくいらいらしたり、不機嫌になったり、落ち着かなくなり、気持ちがよくない。この違いの原因は、前者は自然、後者は人工物であるということにあるだろう。人間のからだは自然や人工物(不自然)に反応したり共鳴するが、気持ちのいい、悪いはその相性によるものではないか。

人間のからだ(人体)は、よく見たり、動かしたりしてみると、摩訶不思議なものである。普段は気がつかないし、考えてもみないが、気がつくと不思議である。例えば、どんなに科学が発達したと人間が威張っても、人間は「からだ」をつくることは出来ない。「からだ」は、人間が作り出したものではない。「からだ」は、太陽や星と同じように、人間が手を加えていない「自然」の一部である。人間のからだが自然のものであるから、山や海、木や花などの自然に共鳴するのではないだろうか。

人間のからだが人工的につくられているとしたら、必ず何か目的をもってつくられていることになる。例えば、早く走れる脚とか、重いものを持てる手とか、永久に生きられるからだ等々の目的をもってつくるはずである。そうではないのだから、人間のからだは人間がつくったものではなくて、何かが何かの目的のためにつくったものとしか考えられない。この何かを、人は神というのであろう。

地球上にある人間のからだは、肌の違いや顔つき、足の長さなど多少の違いはあるが、誰にも胴体があって、頭はひとつ、手と足は二本づつと同じであり、それらの機能もそれほど違いはない。世界の70億人近い人々が同じ五体を持っているということは、偶然とも思えないので、何かが何かの目的のためにつくったとしか考えられない。

合気道では、人類は宇宙生成化育のための使命を帯びていると教えられている。開祖は、ひとはそれを悟らなければならないと言われた。そして、悟るために開祖は、「宇宙のひびきを感得し、そして己の心のひびきを五音、五感、五臓、五体の順序に自己の玉の緒の動きを、ことごとく天地に響かせ、貫くようにしなければならない。」といわれる。

手つかずの「からだ」でも、なにもしなければ、硬化したり、さびついたりして働きが悪くなる。だから、汗をかき、禊ぎをして、からだを自然に取りもどさなければならない。合気道でからだを動かす稽古は、からだの糟(かす)をとるといわれ、糟をとって天地のひびきをよくすることでもあろう。勿論、糟が取れればからだの機能はよくなるので技も効くようになり、武道的にも上達が可能になるが、どうもこれは副次的なことのようで、本命は天地にひびくからだにあるようだ。

宇宙のひびきを感得するために、本来自然である「からだ」は、自然の状態にしておかなければならないだろう。人工的な食物を摂ったり、薬を飲んだり、寒さ暑さから身を守るため冷暖房に頼ったりしては、自然のからだも不自然なものになってしまい、自然を感じ、宇宙のひびきを感じにくくなるだろう。

宇宙のひびきを感じるからだをつくるために開祖は、「合気は宇宙組織を我が体内に造り上げていくのです。宇宙組織をことごとく自己の身の内に吸収し、結ぶのである。」(「合気真髄」)といわれている。このためには、まず自分の体は自然の一部であることを自覚し、そのからだを手つかずの自然の状態になるよう、衣食住に注意するとともに、合気道の稽古を通して、汗を流し、からだの糟をとる禊ぎをし、天地のひびきを通し、宇宙組織を自分の体内に構築していかなければならないということなのだろう。からだの道も、遠い道だ。