【第136回】 真の武道

「武」とは一般的に「鉾を止める」、つまり争いをとめることであるが、合気道の教えでは、「武」とは「愛を守る生命(いのち)」といわれている。宇宙が目指し、人類が目指さなければならない生成化育を育む愛を破壊するものを排除し、止めるものである。愛を守る「武」がなければ、宇宙は生成化育できないし、地球は滅び、国は滅び、人間社会も崩壊し、人も駄目になってしまうことになる。宇宙の生成化育の任にあるものにとって、「武」は必須といえよう。

合気道は柔術から武道、つまり合気柔術、合気道、そして武産合気と変革していくわけだが、一般にこれを総括して「武道」といっている。

合気道において、武道とは時系列的な意味をもつことになる。我々が合気道を始めた40数年前の稽古には、まだまだ柔術的なものが残っていた。相手の攻撃にいかに上手く対処して相手を押さえ込むかという、相手を崩し倒すことが稽古の目的だったし、攻撃する方も相手を制すべく、しっかり抑え、打ち、首など絞めてきたものだった。当時の先輩たちが話としては、喧嘩でやっつけたとか、合気道の技では効いたとか効かなかったとか、こうやったら効いたとか等で、まだまだ相手をやっつけることを考えながらの実践的な稽古が主だった。

開祖が晩年になると、稽古の対象が変わってきた。それまで稽古相手や他の武道家を対象にしてきた柔術的稽古が、真善美の探求、気育・知育・徳育・体育・常識の涵養と、対象が自分自身に変わってきたのである。これを、開祖は、合気道であると強調されるようになった。開祖はそのころ、われわれ稽古人に対して、「合気道とはかたちがない。合気道とは真善美の探求、気育・知育・徳育・体育・常識の涵養である。」と、ことあるごとに言われていたのである。

しかし、開祖はここで止まらず、その先に進まれたのである。開祖はこれまで誰も到達しなかった境地の合気道という武道を完成させたのに、それにも満足せず、更なる、そして真の武道を創り上げたのである。

開祖は真の武道について、「真の武道とは宇宙そのものと一つとなることだ。宇宙の中心に帰一することです。真の武道には敵はいない。真の武道とは愛の働きである。殺し争うことでなく、すべてを生かして育てる、生成化育の働きである。」と言われている。

つまり、「真の武道」とは、対象が稽古相手でもなく、自分自身のためという小乗的なものでもなく、自分自身を通り越した、宇宙であるということである。 「真の武道」の修行とは宇宙を対象とし、宇宙と一体化するということであるようだ。