【第125回】 罪

詔(みことのり)にあるように、「高天原ニ神ツマリマス・・・・ 罪穢れをハラエタマエキヨメタマエとモウスコトノヨシヲ・・・」とあるように、人は罪穢れを背負うので、それを祓わなければならない宿命にあるようだ。穢れは、物資文明がここまでくるまでに貯めてしまった負の遺産である。これからは、この負の遺産の穢れを払い去らなければならない。

穢れだけでなく、罪も祓い去らなければならないが、祓うべき「罪」が何かが分からなければ祓うことも出来ない。罪とは一般的に「悪いことをする行為」ということになるが、悪い行為とは何かということになる。例えば、人を殺すことは罪であるというが、戦争になれば、人を殺せば殺すほど英雄と褒め称えられ、罪ではなくなる。本質的な罪と罪の定義があるはずだ。

真の罪というのは、時代や国や状況によって変わるものではないはずである。それらのものに関わりない絶対的なものであるはずだ。

植芝盛平翁は本当の罪を、「宇宙の諸法則を知らずにいることを罪と思わなくてはならない。知らないでいると宇宙の至恩を忘れ身勝手な心、行動を起こし、本当に罪を造るのである。」(合気道新聞No.97)つまり、宇宙の法則を知らない、知らないために宇宙の法則に反したことをする、ということである。これが本当の罪なのである。

罪を造らないためには、どうしなければならないかというと、宇宙の法則を知れということになるだろう。それでは宇宙の法則を知るためには、どうすればいいのかということになってくる。

合気道は禊ぎであると言われる。合気道を修行することによって、禊いで、罪と穢れをはらうのである。何故、罪穢れがはらえるかというと、合気道の修行によって、自分の体の中に、宇宙を構築していくからである。これを開祖は、「合気は宇宙組織を我が体内に造りあげていくのです。宇宙組織をことごとく自己の身の内に吸収し、結ぶのである。」と言われているのである。宇宙組織が自己の体内に作られれば、宇宙の法則に従った活動をするようになるのであろうし、それに逆らった罪を犯すことはなくなるはずである。

合気道の修行とは、日々の稽古を通して宇宙の法則を見つけ、見つけた法則で技をかけ、その技が宇宙の法則にあっているかどうかを確認し、反省するなど、試行錯誤をしながら、罪穢れを祓いながら進む道であろう。