【第107回】 呼吸力

合気道では、どの道場、どの先生のところでも、呼吸法の稽古をする。諸手取呼吸法、片手取呼吸法、座技呼吸法などである。呼吸法はかって「呼吸力養成法」とも言われたほど呼吸力を養成する稽古であるから、合気道は呼吸力が大事であると言うことがいえる。

しかし、この呼吸法はなかなか上手くいかない。初心者だけではなく、長年稽古を積んだ高段者でも思うようにできない人が多い。呼吸法がなぜ難しいかというと、呼吸法の稽古の意味が分かっていないことと、呼吸力とは何かが分かっていないことによるようだ。

呼吸法は、一教、二教、小手返しなどのような「技」とは違う。技とは相手を抑え、倒すものであるが、呼吸法は技ではない。これを技と混同して、抑えたり、倒すことを目的とすると意味がなくなり、別のものになってしまうのである。呼吸法の法とは、方法である。つまり、呼吸法とは、呼吸力を養成するための稽古方法ということである。従って、呼吸力が少しでもつくように稽古をしなければならない。相手が抑えられ、倒れるのは、その結果であって、目的にしてはならないのである。

難しい理由の二つ目の呼吸力とは何かということであるが、呼吸力及び呼吸力をつける方法について書いたものがほとんどないのである。ただ、二代目吉祥丸道主が「呼吸力」を、「合気道では、しばしば"気""気の力""気の流れ"という言葉が用いられるが、これが合気道の技の生命として流れる時、その力を呼吸力という。」(「合気道技法」)と説明されているだけである。

合気道の稽古の主目的は、技の形を通した「呼吸力」の養成であるとも言える。極端に言えば、合気道で上手いか下手か、強いか弱いかは、この呼吸力の差と言えると思う。

呼吸力とは何かを考えると、呼吸力はまず「力」(パワー)であるということがある。そして、その「力」は、呼吸の力ということになる。この呼吸には2つの意味があるようだ。その一つは、意識を入れた息づかいである。骨盤底横隔膜を使った武道の阿吽の息づかいである。開祖は天地万有がもっている呼吸(イキ)に己が呼吸(イキ)に合していく息づかいをしなければならないと言われている。

二つ目の呼吸の意味は、呼と吸は相反する陰陽と対照という意味であろう。つまり遠心力と求心力を兼ね備えたもの、天と地を結んだもの、心と体を結んだもの等の意味があると思う。この陰陽と対照で働く力が、相手と引力で結びつくことになる。

従って、呼吸力とは、「天の法則に則った心(意識)と地からの力を受けた体、それに息(呼吸)を一体化し、そこから出てくる遠心力と求心力を兼ね備えた引力を持った力」ということが出来るのではないだろうか。つまり、腕や手先だけの体の片方々々を遣う腕力や小手先の力ではなく、また相手を弾き飛ばすのでもなく、相手を吸収する、引力を有する力でなければならない。

勿論、この理論が分かっても、呼吸法が上手くいくとはかぎらない。体や腕がしっかり出来ていなければならないし、呼吸が乱れないように肺や心臓も丈夫でなければならない。

二代目吉祥丸道主は「合気道ではどんな技も、どんな動きもこの呼吸力がなくては絶対に正しい技とは言い得ないのである。しかも、この呼吸力の有無強弱で、技法、心境の深浅がうかがえるのである。」(「合気道技法」)と言われたし、また、本部道場の故有川定輝師範は、「呼吸法、とりわけ諸手取呼吸法が出来る程度(呼吸力の程度)にしか技は出来ない。」と常々言われ、呼吸法の稽古を大事にされて、時間も相当割かれておられた。

参考文献   「合気道技法」植芝吉祥丸著 植芝盛平監修