【第102回】 宇宙の真理に合う

合気道の相対稽古で技を掛け合っていると、相手が上手く倒れたり、自分で上手くいったと思ったり、また相手の技に参ったと思うことがある。上手くいったと思うのは、ただ相手を上手く投げたとか、決まったからということだけではないようだ。相手が上手く受身を取ってくれれば、傍目には上手いと見えるかもしれないが、投げた本人には上手くいったと思えないし、満足できないものがある。こちらが受けを取っていて参ったと思うときは、相手が先輩とか上級者だからというだけでなく、初心者の「わざ」(技と動き)でも参ったと思うことがあるのである。

満足したり、参ったと思う「わざ」には、良し悪しの基準があるように思える。そして、その良し悪しは、初心者でも高段者でも、男でも女でも、日本人でも外人でも、共通しているようである。その基準さえ分かれば、それに近づけるべく稽古をすればいいことになる。言葉を代えれば、その基準が分からなければ、間違った基準のもと、別の道の稽古になってしまうかもしれない。

開祖は「合気道の技は、総て宇宙の真理に合っていなければならないことは自明のことで、これに反しての宇宙の真理に合しない技は、総て己の身に返って心身を滅ぼす結果となる。」(合気道新聞 68号)と言われている。宇宙の真理とは何かが分からなければ、下手すると身を滅ぼすことになるわけだから、この宇宙の真理を一つ々々解明していき、それに合う稽古をし続けていかなければならないわけである。この宇宙の真理こそ、上手い下手の基準ではないか。

宇宙の真理の原則の一つは、宇宙世界の一元の本と、人の一元の本は同根であるということがあろう。従って、宇宙の響き(ひびき)と人の響きは共鳴するというのである。また開祖は、「高天原は天をさがしてもない。己の腹の中にある」と言われてもいる。宇宙と人は意外と接近しているのかも知れない。

宇宙は何もないところから、地球のような星を創造し、人間のような生物をつくった。そして更に何かを創ろうとしている。この宇宙の創ろうとしているものに合致した技でなければならないということになる。逆にいうと、そうでない技は人も自分も、そして宇宙生成をも破壊することになるわけだ。

宇宙をもっと身近な言葉で言えば、「自然」とも言えよう。宇宙と人は一元の本であるとしたら、宇宙と自然も一元の本であり、自然と人も響き合っていることになろう。自然とは多すぎることも、少なすぎることもないことである。宇宙の真理である合気道の技も、陰陽バランスが取れていなければならないことになる。自然であれば、強く、正しく、美しい。

自然はリズムを持っている。四季のような緩慢なリズム。台風、竜巻、つむじ風のような渦のリズム。合気道の技のリズムはこの渦のリズムでなければならないだろう。

宇宙の真理を探究し、宇宙の真理に合った「わざ」を体得して、自分の合気道のレベルを向上していかなければならない。