【第8回】 宇宙万世一系

合気道の稽古では、道場で相手に技をかけたり、かけられたりしている時も、また一人稽古の時も、今のはよかったとか駄目だったという判断を行っている。それは、稽古を少しでもよくしようという気持からであるが、とりわけ相手のかけてくる技の良し悪しはよくわかるものだ。

なぜ、われわれは駄目だとか、いいという判断ができるのか。なぜ、少しでもよくなろうとするのか。そしてまた、その判断となる基準とはなんだろう。 これは私が学生時代に没頭していたテーマであるが、また人間が長い間知ろうとしている「絶対」というテーマとも関係があるだろう。もし、この世に「絶対」というものが存在するとすれば、人間社会の多くの問題は解決されるはずである。善悪、物事の良し悪し、美酷、強弱などなどは、その基準で即判断できるからである。時代によっては、神とか、死とか、光速などが絶対であるとして扱われていたこともある。
しかし、いまのところ「絶対」というものは存在しないことになっている。

ほとんどの人間は、合気道の稽古だけでなく、日常生活や仕事その他でも、過ちを犯さないように気をつけているし、少しでもよくしよう、よくなろうとしている。罪を犯した者も、悪いことをしたと反省する場合が多いようである。どうも、人間には生きる上での基準とか方向性があるように思われる。

開祖は「合気道とは、宇宙の万世一系の理であります。」といわれている。つまり、宇宙万有の根源ができた時と繋がらなければならないのである。
「天なく地なく宇宙もない大虚空に、ある時ポチひとつ忽然として現れる。このポチこそ宇宙万有の根源なのである。そこで始めゆげ、けむり、きりよりも微細なる神明の気を放射して円形の圏を描き、ポチを包みて、始めて◎(ス)の言霊が生まれた。これが宇宙の最初、霊界の初めであります。」(武産合気)

「いま地球、宇宙にあるすべてのものはこの◎(ス)に繋がっている。」すべてのものは、ここに繋がっているのである。地球もここからできたし、地球からは植物や動物、人間がうまれた。従って、地球は植物、動物そして人間の母であり、人間は国が違っても、人種が違っても、兄弟ということになる。今はいろいろなシガラミがあって仲良くできないこともあるが、本来は兄弟ということで仲良くなるようプログラミングされているはずである。
開祖は「宇宙万有の世の進化は一元の本より発し、我らをして楽天に統一に和合へと進展させている。」といわれている。

合気道では、「人は神の子、神の生き宮」という。人は天之御中主神、イザナキ、イザナミの神さまとも繋がっているだけでなく、「人間は生まれながら小宇宙だ」という。神や宇宙は、われわれの身近にあるようである。
合気道の稽古は、この宇宙万世一系に繋がるものでなければならないのだ。そして、この宇宙万世一系こそ、これまで探していた「絶対」なのかも知れない。