この論文も目標としていた1000回を残すところ2回となった。やるべき事、やりたい事、書きたい事はまだまだあるようで、1000回で満願ということではないが、ここでこれまでの論文の締めくくりをしてみたいと思う。どのような思いから書き始めたのか、何を目指していたのか、何を学んだか等をまとめてみたいと思う。
まずどうして論文を書く事になったかである。論文に無かったことも加える。合気道の技も満足にできないし、合気道がどのようなものなのかも知らない時の決心であった。どうなるのか、書き続ける事ができるのか、書いて置く価値があるのか等迷いはあったが書くことに決めたのである。その大きな理由は書く事、書いて置くことに意味があると思ったからである。物事は文字に残して置かなければ何事もいずれ消滅し、人に忘れ去られることを知っているからである。一度消えればそれで終わりである。
つくづく思ったのは、古代の日本に文字があればどんなによかったのにと思った。もし、それ以前から文字があれば興味のある事がわかり素晴らしいのにと思う。万葉集、古事記、日本書紀が出るまでには既にそのような文化、芸術、思想があったわけで、文字が来て、それを現わしたわけである。
また、これまで多くの名人、達人がいたはずだが、彼らはどのようにして名人達人になったかを文字に残していない。だから忘れ去られていく。精々、彼らの、所謂、名言が弟子たちの言葉として残っているぐらいである。我々凡人の知りたいのは、強かった名人ではなく、どのようにして名人達人となり超人的な技をつかえるようになったかである。どのような苦心をし、どのような出会いがあり、どのような助けがあったかなどである。
当時、合気道本部で教えて下さっていた有川定輝が、どのようにして強くなられたのかを修業日記で書いて下さっていればよかったのにとつくづく思ったものである。
また、くだらない事、誤った事を書いてしまうのではないかという心配もあったが、歴史を見れば、そういうものは自然に淘汰されるから心配ないと思った。いいモノは残るし、間違ったモノやくだらないモノは自然に消えていくからである。書いたら後はお任せすればいいわけである。先ずは書き始める事である。背伸びせずに、その時々々一番書きたい事、興味ある事、大事と思う事等を書いていけばいいと思ったのである。それなら自分の上達、成長にも繋がるはずである。
そして決めた事は、毎週1回、計1000回を目標にしたことである。毎週1回ということは月に4回、年で約50回になり、1000回には約20年掛かる事になる。20年の間には何が起こるか分からないので、1000回達成は容易ではないとは思ったが、その時はその時で、取り敢えず始めることにした。
更に決めた事がある。論文のテーマを4つにする事である。「合気道の思想と技」「合気道の体をつくる」「合気道上達の秘訣」「高齢者のための合気道」である。論文のテーマを4つに決めたのは咄嗟にきめたことで、今考えると何かに決めさせられたように思える。そのせいか、この論文4構成は今でも気に入っているし、この後も続ける事になるだろう。
この論文の基、つまり書く材料は、道場稽古、『武産合気』『合気神髄』、毎朝の禊である。道場稽古は週3回、禊は毎朝6時から2〜3時間、そして『武産合気』『合気神髄』を毎朝少しづつ読んでいる。『武産合気』を一区切りづつ読み、読み終えたら『合気神髄』を読み、終われば『武産合気』と交互に繰り返し読むのである。これまで何十回も繰り返して読んでいるはずである。
勿論、最初は『武産合気』も『合気神髄』もほとんど理解出来なかった。しかし、分からないながら一回読む毎に何かが分かってきて、回を重ねるに従ってそれがつみかさなっていき分かるようになってきたのである。合気道で分かるということは、頭で理解できるということだけではなく、合気の技で表わす事ができるということである。技は理合い、理に合っていなければならないので、その理合いはこの両書の中にあるのである。
『武産合気』『合気神髄』の教えから技がつかえるようになるわけだが、技の上達によってこの両書の意味が分かることも多い。つまり両者には相乗効果があるということである。『武産合気』『合気神髄』が分かれば技がレベルアップするし、技がレベルアップすれば両書がそれだけ理解出来るようになるということである。
毎朝の禊も『武産合気』『合気神髄』と道場稽古の技と繋がっている。相関関係、相乗効果があるということである。真の技と真の合気道を探究できるのは一人で行い、毎朝行う禊である。道場稽古は禊ぎで得た事を試すところである。道場稽古では相手がいるので相手を意識してしまい肝心な事の探究は難しい。「合気道は禊である」との教えから毎朝禊をしているが、大先生の意味されているのは、合気道そのものが禊ぎにならなければならないということであることが分かってきた。朝の禊ぎだけが合気道ではないということであるが、これは合気道修業の根幹であり必須であると考える。
それではこの『合気道の思想と技』を書いてきて何が分かったかを書いてみよう。
これを書き始める前は、合気道の事をほとんど知らなかったといっていいだろう。合気道を知らない人に、合気道とは何ですかと聞かれて答えられなかったのである。取り分け、外国では説明できなかった。
しかし、論文を書いている内にそれが分かってきた。今なら誰にでも説明できると思う。
合気道とは何かを説明するなら、まず合気道の目指すモノ、目標を知ればいい。合気道は何を目標にして、何のために稽古をしているかである。
それは、1)宇宙との一体化と2)地上楽園建設である。
はじめは全然異質の目標に混乱したが、この両方の目標が必要である事が分かり、片方だけでは不完全であり、不可能であることも分かった。
1) は所謂、小乗の目標であり、2)は大乗である。小乗は己の鍛練であり、宇宙の営みの技を身につけることによって宇宙になり、宇宙と一体化することである。合気の技の錬磨である。
2) の大乗は、宇宙との一体化を基に、地上楽園建設のために人、万有万物の生成化育のお手伝いをすることである。
このように合気道は己のため、そして世の中のために修業をしているということである。これが出来てやれば、世の中の人は合気道を評価してくれるはずである。つまり、この大乗の合気道になれば合気道はますます発展する事になるはずである。
その他にも分かった事はあるがそれは論文にある通りなので省略する。
1000回までの状況下では、1)の宇宙の一体化の小乗で精一杯で大乗への余裕はない。2)の大乗の地上楽園建設のためは1000回以降ということになりそうだ。
この999回の後に最後の1000回が残っているわけだが、そこでは1000回以降どうしたいのかを記すことにする。