【第998回】 神の力
気を知り、つかえるようになったことから技が変わり、技が上手く掛かるようになった。しかし2,3か月もしないうちに技が効かなくなってきた。これまでも経験してきた事なので驚きもしないし、落胆もしていない。何故ならば、こちらで新しい技を使って技が変われば、稽古相手や稽古仲間もそれだけ強くなるからである。故に、常に技の上達を計っていかなければならないことになり、そうしてきた。
最初は手を鍛え手で技を掛けていたが、相手の腕力もついてくると手の力は互角になるので技は効かなくなる。そこで腹で手をつかうようになる。当分の間は腹の力が相手の手の腕力にまさるので技が効いているが、相手も腹で手を使うようになると互角の力になり、それまでのようには技が効かなくなる。そこで今度は息で体と技を使うようにする。また追いつかれる。今度は気をつかう。そして今、相手(稽古相手、稽古仲間)も気を使い始めたので互角になりかけていて苦労しているところなのである。因みに、稽古相手は気が出ていることや気を使っている事を意識していない事と気を断片的にしかつかえていないので気の技になっていないのである。
この状況を脱却しなければならないがどうすればいいのかを考えている。これまでの経験から、ステップアップするためには常に異質のこと、異次元の技づかいをしてきているわけだから、今回もこれまでとは異質で挑戦しなければならないはずである。
そこで先ず思い当たるのは、大先生の晩年の稽古法、修行法、技づかいがどうだったかである。そして気づいたことは、神と共に修業されていたということである。小さな人間の枠を超えた技を使われていたのである。人の力には限界があるし、力は弱いという事で神の力をつかわれるようになったはずである。
お借りする神の力には三種類あると考える。それぞれの力の例の基も挙げる。
- 神の営みに則った力
○一霊四魂三元八力 布斗麻邇御霊
- 神と共に
○「一番の神業は、大神にして創造主たる神に同化、帰一和合すること。」(武産合気P.26)」
○「天之むら雲九鬼さむはら大神が下って、建速須佐之男大神のみ働きにご一体になられた。この神は合気の道にくい入りくいこみくい止って、血脈の如く合気をなす人の体に結び付いておられるのであります。」(武産合気 P.61)
- 神になる
○「天之浮橋に立つ時、天之御中主神となって立つのです。」(武産合気P42)
○「この植芝の合気は、大猿田ヒコとなって、これから進む道案内であります。地上の禊、祓いです。」
○「私は神懸り」とは違う。神そのものなのです」(武産合気P.20)
次に、神さまを大先生はどのように説明されておられるのか、どうお付き合いすればいいのかを見ることにする。大先生は次のように教えておられる。
- 「神は目に見えず、手で掴めません。なぜなら神は霊の霊であり、仏は物の霊なのです。即ち魄の中に神が入り、魄を育て魄は魂を守るのです。他に神があるのではなく、生まれながらに天から授かっているのです。」
- 「肉体を持った人間が、神などというのはおかしいと思う方もあるかも知れません。しかしそう思っている内は、その人は神我一体にはなれないでしょう。人間は本来、神の分霊である。」(武産合気P.20)
- 「木で造ったお社の中ではなく、八百万の神さまに人間の生き宮の中にはいってもらうのです。」(武産合気P.44)
- 「神とは天にもあり、地にもあり、また自分の中にもある。そして時としては自分も神となり、世のためにつくさなければいけない。(合気神髄P.58)
- 「神とは生宮を通して、初めてこの世に現われるのであります。生宮とは、肉体人間のことであります。人間の造った木のお社にさえ、神々が集まるのですから、神の子たる人間の生宮に、神々の集まらないわけがありません。」(武産合気P.39)
- 「神とは火と水のことで、みな悉く御息の動きによらなければ、その営みはつくられない」(武産合気P.100)
- 「一口に神ということは、合気ということになる。何故合気になるかというと、火と水でカミになるからです。」(武産合気P.109)
神様の力をお借りすることは可能であるという事である。
神様はどこにでもおられるし、人の体の中にも入り働いてくれる。神の業は神技ということになる。大先生の神業は天の村雲九鬼さむはら竜王の技であったようであるが、天の村雲九鬼さむはら竜王は合気道の修業者に結びついているとあるから、天の村雲九鬼さむはら竜王が働いてくれるようになれば神技が出るようになるのだろう。
しかし、合気道の技をつかうにあたって、いろいろな神様が技を掛けたり、支援しているように思う。
私は以前から、自分の守護神は天照大神(お日様)であると思っているし、合気道でも守護神である天照大神が協力してくれていると感得している。守護神のもと天之御中主神、高皇産霊神・神皇産霊神、伊邪那岐神、伊邪那美神、天の村雲九鬼さむはら竜王などの神さまが働いてくれるように思う。強いて言えば、守護神の天照大神は裏・土台の神、働き神は表で働く神である。技はこの二種の神さまによってであるように思える。
神様が体にどのように入り、働いてくれるかというと次のように感じる。
水火の火で神が腹中、体中に入ってもらう。
神→ ○ ← 神 となる。
これを大先生は次のように教えておられる。
「いよいよ神が表に現われた世界となった。真の神代となった。魂魄調和のとれたふりかえの世界への世界家族のつとめをはたさなければならない。各々の精神と物理と呼吸して、魂のひれぶりに変えるのである。即ち自分に与えられた呼吸、与えられた精神の宿、(肉体)を地場としてその上に精神を鍛えることである。そして立派に神に通じて本守護神となって活躍することである。」(武産合気P.85)
神の力が加われば、人力を越えた力が出る。神通力という力である。今度は神の力にお世話になる。
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