【第997回】 武道としての合気道の根源とは

合気道を始めて以来今日までよく分からない事があったが、それが解決した。
その分からなかったこととは、大先生の腕を掴んだ関取だった天竜さんが一瞬で降参してしまったり、加納治五郎先生が大先生の演武を見て、これこそが私のやりたかったもの(武道)であったと言わしめ、合気道に惚れ込み自身で入門されたり、弟子を送り込んできた事等である。天竜さんにしても加納先生にしても武道としての合気道を認められたということである。合気道はどんな強力な相手や力を制する事ができるし、勝つことができると認めたわけである。

これまで、天竜さんや加納先生を納得させ、感動させたのは大先生の力量であって、合気道という武道に対してではなかったのではないかと思っていた。我々凡人がいくら稽古をしてもできることではないのではないかと思っていたのである。
しかし、我々にもその可能性があるということが分かった。つまり合気道には武道の根源があるということである。大先生のレベルまで行かないまでも、誰でも近づくことは出来るということである。

それに気づかせてくれたのは一枚の大先生の写真(下記)である。

この気魄に満ちた腕を天竜さんは掴んだし、この気魄と姿形での演武を加納先生は見ていたわけである。人間に対してだけでなく、木(自然)、万有万物、天地宇宙に対するものであり、これが合気道の武道としての根源であるということになる。合気道は人間相手の小さな武道ではなく、宇宙天地、万有万物に対する武道なのである。

この写真の大先生の手と体を見ると、気で凝った手と体に見え、まるで鋼の手と体である。これは気の働きと見る。
更に大先生を強靭で無理なく自然な姿勢は、大先生が謂われる「息陰陽水火」で手と体を使われているはずである。手を只出すのではなく、息を腹で引き乍ら出る手なのである。ぶつかってぶつからない手である。そして水火で手と体を最大に凝結しているはずである。
武道としての合気道が、強靭な手や体をつくるのは息陰陽水火ということであることを、大先生は我々稽古人達にこの写真や『合気神髄』『武産合気』で教えようとされておられたわけである。