これまで、技を掛ける手は、腹と結んで腹で掛けなければならないと書いてきた。それまでは腹と結ばない手で技を掛けていた事への戒めであったし、実際そうしないと大きな力は出ず技にならなかったからである。
腹と手を結び、腹と結んだ手で技を掛けると強力な力が生まれ、技は決まるようになるのだが、段々と何かが欠けていて不十分であると感じるようになった。そして『合気神髄』で「手、足、腰の心よりの一致は、心身に、最も大切な事である。ことに人を導くにも、また導かれるにも、みな心によってなされるからよくよく考えること。」(『合気真髄』)」の教えが目に止まった。それまでは手、足、腹の一致で技を掛けていたわけであるが、腹ではなく腰と手と足の一致、つまり腹ではなく腰で軸をつくらなければならないと気づいたのである。実際に、腹の代わりに腰で手と足での軸をつくって技をつかうとこれまでにない威力が出るようになったのである。
そこで、何故、腹より腰の方が力が出るかを考えてみると、
まず、腹は身体の裏であり、腰は表にあるからである。裏の陰の気より表の陽の気の方が強力なのは当然だからである。
次に、腰が体(支点)になると強力な円が生まれる。息陰陽の引きながら出る力が生まれるのである。因みに、腹を体とした円は正確な円ではないし、腰ほど強力ではない。四方投げや片手取り呼吸法をやってみれば分かる。
三つ目は、腰で強力な十字が出来、強力な力が生まれることである。腰が前足先と十字に返るとそこに円が生まれる(上記の円)がこれは腰の横の働き(━)である。また、腰を天地と結び地に落すと、腰は天地の縦に働く(|)。この横と縦の十字(十)の働きで強力な力が生まれる。諸手取呼吸法はこの横と縦の十字の腰でやらなければ上手くいかないはずである。取り分け、縦の力のために、腰をしっかり地に落さなければならない。
しかし腰を初めからこのようにつかうのは容易ではないはずである。やることをやった上でつかわなければならないからである。そのやるべきこととは、まず、腹を鍛えることである。故に、前段階でやってきた腹で手をつかって腹を鍛えたことには意味があったのである。
ということは、腰ではなく、腹と手を結び腹で手をつかったことは間違いではなく、次への段階への通り道であったわけである。同じ例として、魄の稽古は間違いなのではなく、気、魂の次元に入るための必要不可欠の過程であると同じである。
腹を鍛える意味、必要性を具体的に記す。腰は左右に分かれ、それを陰陽に使うわけだが、この陰陽につかうのが腹なのである。腹を右の腰、左の腰・・・と入れ込み足と手の一致をし、軸をつくっていくのである。簡単に言えば、“腹で腰をつかう”ということになるのである。故に、腹の鍛練がないと、腹が突っ張って自由に移動できず腰が働かないのである。
腰をつかっていくと腰に筋肉が付き、腰が張り大きくなってくるようだ。大先生をはじめ、大先生の直弟子だった先生方の腰はどっしりし、大きかったから、腰を鍛える稽古をされていたはずである。更に、腰を鍛えていかなければならないと考えている。