【第996回】 最高の喜び

高齢者になってモノに対する欲は薄くなった。金持ではないが、衣食住は足りているし、年金も入るので不自由はしない。お金を稼いだり、高価なものを持つ気も無い。それでは喜びもないし、生きている意味がないのではないかと思うかもしないが逆であり、若い頃以上に日々を楽しんでいる。

若い頃は、本や玩具を入手したり、田舎から都会に移ったり、海外で生活をしたり、いろいろな人と出会ったり友達になったりするのが嬉しかったし、生きているという実感を持ったものだ。
しかし今はそんなものでは嬉しくないし、喜べないが、それ以上の喜びを得ている。それは何かというと、自分が変わる事である。上達したり精進する喜びである。新しい発見があったり、昨日まで出来なかったことが出来たり、分からなかった事が分かる事が最高の喜びなのである。日常生活でもその喜びはあるが、私の場合は、合気道の世界にその多くの喜びを得ている。大先生の教えが満載されている『武産合気』『合気神髄』から難解な大先生の教えに挑戦し、それが解明できた喜びは最高である。この喜びに比べたらお金やモノなど比べものにならない。
この喜びを得るために合気道の精進を続けていることになるわけである。
合気道のお陰で生きている意味や合気道のめざすもの、宇宙との一体化(小乗)と地上楽園建設(大乗)が分かってきたのである。
これを要約すると、自分が変わること、自分が日々成長し変化することが最高の喜びであるということである。

しかし、最近この最高の喜びが更に変わったのである。
長年にわたって、後輩の稽古仲間と技を錬磨してきたわけだが、後輩が教えたことを動きや技でつかえるようになってきたのである。つまり教えた事が身についてきたということである。例えば、手と足を共に陰陽でつかう、体は手足腰の軸の移動でつかう等である。恐らく本人はそれに気がついていないだろうが、大きな進歩、上達なのである。
この共に稽古した後進達が教えを身につけ、精進し、上達し、変化することがこれまで以上の最高の喜びになったのである。

習い事での最高の喜びは、自分だけでなく、後進が育つことの喜びである。後進が育つことこそ、合気道という習い事においての最高の喜びということになるようだし、日常においても最高の喜びなのである。