【第995回】 光と熱と力
最近、手のつやや顔のつやが出てピカピカ光るようになった。自分でもそう思っていたところ、稽古仲間からもそれを指摘されたからこれは錯覚でなくほんまものであると確信した。特に、道場稽古が終わった後で洗面のため鏡を見ると顔がピカピカと黒光りしているのに驚いている。
過って、合気道を稽古鍛錬していると「光と熱と力を生ず」と大先生からお聞きした事があった。当時は稽古をすれば熱と力が出るようになるのは当然だろうからそうだろうなと思ったが、光が出るようになるというのは分からなかった。そして50,60年後に光が出るという事が本当である事が分かったわけである。
光が出ることは大先生が謂われている。つまり大先生は光が出るようになると保証されていたのである。換言すれば、光が出るように稽古をせよということである。よって、光が出るようになったのは不思議でもないし、特別な事でもないということになる。逆に、光が出ない稽古をしているのはおかしいという事になる。長年合気道の稽古をしているのに、暗い顔、光のない顔付になっていく人を結構見掛けるが、大先生は悲しむだろう。
光が出る、「光と熱と力を生ず」と大先生は次のように言われている。
- 「△は気にして力を生じ、また、体の三角体は破れざる丈夫の姿勢を具備さすべく、この鍛錬により光と熱と力を生ず」
- 「天の浮橋に立って言霊の妙用たる身内にある赤い血と白い血のたぎりによって、光も熱も力も発してきます。」
この二つの教えを簡単に言えば、気が出るようになれば、光も熱も力も出るようになるという事だと思う。己自身に気が出るようになったことで光が出るようになったということである。
- 「愛より熱も出れば光も生じ、それを実在の精神において行うのが合気道である。」
“愛”が稽古に於いて、日常生活でも芽生えてきたために光が出てきたのだろう。相対稽古では相手が怪我しないよう、不愉快な思いにならないよう等、また日常生活では神仏や自然に感謝し、花草木や虫等と対話しようとしている。
大先生の言われる「光と熱と力を生ず」の光には二種類あるようである、 物理的な光と精神的・霊的光である。
物理的な光は、顔や手など体の表面で光る光である。自分にも誰にでも目で見える光である。この物理的な光は、気の鍛練から生まれると考える。
光と精神的・霊的光は、上述の“愛”から生まれる光であるようである。その分かり易い光は、キリストや偉人の光背であろう。偉人の光背のように目ではっきり見えないかも知れないが何か光を感じるという光である。
過って大先生の霊的光を見る事はできなかったが、敏感な霊能者は見ていたはずである。私はその光は見なかったが、大先生が現われたり居られるとすぐに気がついたのは、無意識でその見えない光を見ていたのだと思う。
物理的な光と精神的・霊的光が出るように、ますます稽古鍛錬をしていきたいと思う次第である。大先生はそのためにすべきことを次のように教えておられる。「我々は五体のひびきから光と熱と力を生じさせるような稽古をし、宇宙のひびきの中の空に技を生み出していかなくてはいけない。」
五体と宇宙のひびきの同化によって光と熱と力が生まれるということである。
Sasaki Aikido Institute © 2006-
▲