【第995回】 気からひびきへ

長年合気道の稽古を続けてきてまたわかったことは、合気道の修業は積み重ねであるということである。やるべき事を一つずつやって、積み重ねていくのである。やるべき事を見つけ、実践する、反省・改善する、会得するの積み重ねの繰り返しである。お陰で多くの事が分かったし、身についた。はじめは技の型を覚えたり、手足の動かし方を身に付けたりと難しくは無かったが、どんどんと難しくなってきていた。最近挑戦していたのは、布斗麻邇御霊、息陰陽水火、手火水地等である。それまでと比べると桁違いに大変だった。恐らく、やるべき事が、それまでの目に見えるものではなく、目に見えないものになったからであろう。つまり魄の稽古、顕界の稽古から目に見えない気の稽古、幽界の修行に入ったからだと考える。

大先生の教えによると、合気道の稽古・修業には段階があるようである。合気道の初歩から卒業へである。但し、大先生が謂われる「初歩」とは、本格的な武道としての初歩ということである。従って、この初歩の段階に辿りつくため準備段階が必要であることになる。
まず、武道の初歩、はじめを「武道は、宇宙の理を悟り、神人合一、神と人とは気を合わして世の初めに神習いて武道を興す、という一念により武の気魂現れる。これ、武の元の心の初めである。」(合気神髄P.21)と言われている。真の武道としての合気道を初めるためには、布斗麻邇御霊、天火水地、息陰陽水火は必須ということであり、初歩の段階に入ったということになろう。
しかし、この武道の初歩の段階にくるためには、そのための準備が必要になる。つまりはじめるためにやるべき事をやっておかなければならないという事である。それらのやるべきことは長年にわたって書いてきた論文にある通りである。例えば、身体を鍛える(魄力をつける、カスを取り各部位が別個にも統合しても働くようにする)、息で体をつかう、息と体を十字につかう、体と技を円の動きの巡り合わせでつかう等などである。

合気道の初歩から本格的な合気道、真の武道に入っていくことになる。この真の武道としての合気道を武産合気と謂われているのだと思う。武産(たけむす)とは宇宙と結ばれる武をいい、引力の練磨であると教えておられる。
武産合気は、宇宙、つまり万有万物と結ばれるわけだから引力の鍛練が必要になる。そしてその引力の結びはひびきであるのでひびきを産まなければならないことになる。これを大先生は、「武産の武の結びの第一歩はひびきである。五体のひびきの槍を阿吽の力によって、宇宙に拡げるのである。五体のひびきの形に表れるのが、「産び」(むすび)である。すべての元素である。元素は武の形を表わし、千変万化の発兆の主である。」と言われている。有難いことに、今では相手を凝結し、引っ付けて結ぶことができるようになったが、これこそがひびきであったのである。またこのひびきはすべての元素ともいわれているように、このひびきで技(武の形)や自在の動きができるわけである。

武産合気は更にこのひびきと共に呼吸によって宇宙と同化し、そして合気を無意識のうちに導き出すようにしなければならないと、「呼吸の凝結が、心身に漲ると、己が意識的にせずとも、自然に呼吸が宇宙に同化し、丸く宇宙に拡がっていくのが感じられる。その次には一度拡がった呼吸が、再び自己に集まってくるのを感じる。このような呼吸ができるようになると、精神の実在が己の周囲に集結して、列座するように覚える。これすなわち、合気妙応の初歩の導きである。合気を無意識に導き出すには、この妙応が必要である。」教えておられる。これも体で感得し技でつかえるようになってきたようであるが、これでもまだ「合気妙応の初歩の導き」ということであるから合気の卒業までにはまだまだやらなければならない事があることになる。

それでは何がどう出来れば合気は卒業なのかということになる。
有難いことに、大先生は合気にも卒業があるということを言われているのである。「この山彦の道がわかれば合気は卒業であります。」と。
今回は気に続いて「ひびき」の重要性がわかったわけだし、ひびきと山彦を同じ事であると思うから、山彦の道はそう遠くないように思える。