【第995回】 天の叢雲くきさむはら竜王

合気道の技は主に手で掛けるが、最近、手が自然と無作為で動くようになってきたし、そうでなければならないと思うようになった。相手の攻撃に対して、それを制してやろうとか決めてやろうと手を出すのは、機械的人為的で不自然であり、作為的であり美しくなく理想的でない。
手がどうして無作為で動くのかを観察すると、気が水火の形で動いている事がわかる。布斗麻邇御霊の水火である。布斗麻邇御霊であるから神の働きということになり、言うなれば、神が手を動かしている事になる。天之御中主神、高皇産霊神・神皇産霊神、伊邪那岐神、伊邪那美神である。つまり、手は神の手ということになる。神が手をつかって技を掛けているということになるだろう。
水火とは、天地、神(御霊)の縮めて(・)拡げる(○□)の呼吸、息づかいである。
そして水火には横の水火と縦の水火がある。
横の水火は、息を引いての求心力の火の水火と息を吐いて手先を進める水の水火とである。
縦の水火は、手先(手と体)を○ → ・ → ○□ → ・の息づかいである。
この縦横の水火を言霊“あおうえい”でつかえばいい。
この水火の気とアオウエイの言霊で手は動くようになる。

もう一つの神の手がある。それは天の叢雲くきさむはら竜王の手である。
大先生は「合気道は天の叢雲くきさむはら竜王の働きであります。天のむらくもとは、宇宙の気、オノコロ島の気、森羅万象の気を貫き息 吹く気の働きであります。くきとは、大地の妙精の現れと、天の現れとを一つに貫く、即ち天と地の両刃の剣です。」「合気道はみそぎでその方法は言霊によってするのであります。」「合気道はまたアオウエイの五つの声の働きでもあります。これは水火のむすびの二元に密接な関係があるのであります。」と言われている。
従って、前項の神の手が天の叢雲くきさむはら竜王の手と同じになると思う。気の働きによって天と地を結んだ水火の働きであるということになるから、前項の神の手と天の叢雲くきさむはら竜王の手とは同じになると実感するのである。