【第993回】 引力の鍛練

これまで半世紀以上にわたって合気道の稽古をしてきた。技の法則を見つけ、それを会得し、他の技に応用するを繰り返してきた。法則には容易に分かったものから段々と理解や会得が難しいものに移ってきたように思う。はじめは、左右の足や手が陰陽に動くなどであったが、最近では、天火水地や息陰陽水火に移ってきた。

ようやく気で技がつかえるようになってきた。気で技をつかうとはどういうことかというと、相手を引力で掛ける技と言えよう。相手を突っ張らせて、その突っ張りを解かないよう、緩めないように収める事である。気で相手をくっつけ、凝結して、こちらの引力でかけるのである。気には凝結力と引力の働きがあるのである。つまり相手が突っ張り、くっついてくれば気がはたらいていることになるわけである。
勿論、つっぱりや引っ付きの凝結力や引力には強弱があるからその為にも鍛錬しなければならない。

気がつかえるようになったお陰で気づいたこと、分かってきた事がある。
一つは、これまでの稽古はこの引力のためにやってきたのではないかという事である。特にそれを感じるのは、つい最近の天火水地や息陰陽水火である。これらはまさしく引力を出し、使うためのものであると実感するのである。
また、手足の陰陽づかいを一つ間違えれば強力な引力の発生は難しいのである。
これまで片手取り呼吸法をほぼ毎日稽古していたが、ようやくこれが合気道の技だと実感出来るようになった。引力で技がつかえるようになったからである。今考えてみると、この引力の技がつかえるようになるために片手取り呼吸法の稽古もしていたように思えるのである。

二つ目には、引力には次のようなものがあることである。

  1. 天地の引力
    天と地が結んで引力を発生している。故に、その天と地の間に立つ人は天地の引力と結んでいる事になる。
    布斗麻邇御霊のと言霊“あ”“お”で天地の引力が実感出来る。
  2. 人の肉体的な引力
    2−1 接してくっつける引力 → 相手と接して相手を突っ張らせてくっつける
    2−2 引っ張る力の引力 → 相手を引っ張って突っ張らせる
        技はひっつけ、突っ張らせたまま掛け、収める → 引力を切らない。
  3. 人の精神的な引力
    『武産合気』にそれが分かり易く書いてある。
    「静岡の久能山に向かう途中、お百姓さんと大先生のお弟子さんの猛者たちが口論となり、一触即発寸前に先頭にあった大先生がこられて猛者達をなだめ、お百姓さんの前に出て『お話はよく判った、我々が悪かった。どうか勘弁してください』と頭を下げられた。お百姓は手にもった肥ひしゃくもったまま引き下がっていきました。お百姓さんの方が悪かったようですが、大先生は『悪を悪として切らず、悪を祓い浄めて、和合してゆくのが合気道じゃからのう。』と言われたという。」
    これが「合気道とは、すべてを自己に吸収してしまう引力の鍛練です。」ということなのである。
    この精神的な引力について大先生は次のようにも教えておられる。
    • 「真の武とは相手の全貌を吸収してしまう引力の鍛練です。」(武産合気P.31)
    • 「合気道は相手が向かわない前に、こちらでその心を自己の自由にする、自己の中に吸集してしまう。つまり精神の引力の働きが進むのです。」(武産合気P.52)
引力にはこれまでやってきた肉体的な引力の鍛練に加え精神的な引力の鍛練も必要になることになる。この精神的な引力が強力なものになれば、合気道は大先生が謂われる真の武道として社会に更に評価され、ますます貢献するようになると考える。地上楽園建設の生成化育である。