【第990回】 位づけの妙法

ようやく長年の念願の気を生み、気を自覚することが出来るようになってきたわけだが、今度は気を技でつかえるようにしなければならないことになる。呼吸法でも一教でも気で掛けるという事である。
先ずは、気で体と技をつかう事からはじめた。これまでの体を体で動かし、体で技を掛ける、そして息で体と技を使うよりも強力な力が出て体は動くし、技も掛かり易くなった。しかし、まだ気が十分に働ききっていない感じである。気はもっとこれまでの力(魄力)より異質で異量な力(エネルギー)があるはずだと思ったのである。

すると気には凝結力と引力という強力な力がある事が分かってきたのである。そしてこの気の力で相手を凝結し引っ付けるためには己自身が凝結しなければならないことも分かった。少なくとも、手の凝結は重要なのである。
手の凝結のために、イクムスビの息づかいで手を凝結して技をつかうと相当強力な力が出る。打ってきたり、掴んできたりする相手を捌く事ができるようになる。

しかしこれでもまだ心も体も満足してくれない。この段階では、まだ相手も納得しておらず、隙あらばという緊迫した状況なのである。
ここから相手を納得させ、こちらと喜んで一体となるようにしなければならないわけである。
そのために気が載る土台をつくることである。土台がしっかりすればするほど気もそれに比例して強力になるのである。体の土台は手だけではないが、その内一番大事な手の土台で説明する。

ここでの手は正確に言えば、手掌であるがここでは手と称して説明する。
手には裏と表がある。勿論、体には裏表があるから当然である。そして手の裏は手の平となり、手の表が手の甲になる。つまり、気は手の平の上の手の甲に載ることになる。手の平が魄で手の甲に気、そして魂が載る事になる。
これが魄の上・表に魂を現わすということであると考える。
気が強力に生まれ、働くためには魄、つまり手の平を頑強にしなければならない。手の平に息、力、気を思い切り入れて強靭な手をつくるのである。この手の平が土台になる。この土台は動かしてはならない。土台は布斗麻邇御霊の水火で動くのである。動くためには多少のコツはある。仙骨を開いたり、親指(正確には母指球)支点で他の指(手刀)を返す。また、息を吐く時(水)は手の平を張り、息を引く時(火)は手の甲の気・魂でやる等である。

この手が出来、つかえるようになると気で相手を制し、相手を導くことができるようになる。最早、相手にしっかり掴ませなくとも、相手を押しつけたり、引っ張ったりしなくとも、気で相手を制してしまうのである。相手は十分納得し、反抗の心は消失する。一体化したわけである。
その例を大先生と有川先生の下記の写真で示す。触れているだけで相手を凝結させ、一体となっているのが分かるだろう。

このように気で相手を抑える方法を大先生は「位づけの妙法」と次のように言われている。
「この時、ウナギ掴み、すなわち気でもって相手を抑える、すなわち位づけの妙法を覚ったのである。こうして合気の真の鍛錬法が出来てきたのである。」(合気神髄p164)

気での「位づけの妙法」こそが“合気の真の鍛錬法”と大先生は教えておられるわけだから、この「位づけの妙法」で気をつかい、技と体を鍛錬していけばいいということになるだろう。