【第990回】 魂とは、その魂を現わすために
魂を研究しているが、今朝、拝読した『合気神髄』の箇所で魂の教えがあった。毎回、大先生からは教えを頂いているが、今朝の教えは特別である。己が、今、暗中模索し、一番知りたい事にタイミングよく光を当ててくれたからである。これまでもこのような偶然は幾度かあったが、偶然とは思えず不思議なのである。最近では、何かに導かれているように思うのである。他人には可笑しいと思われるかもしれないが、これまで生きていた中で生死を含めた偶然の体験をしてきたからである。
さて、本日、拝読した箇所の教えは次の文章である。
「自己の心は自己の心で祓い、御剣を通して本当に自己の心から立て直す。これが大神に神習う心魂の禊である。世界の大橋となる二番目の大橋となる岩戸開きである。また神習いては自己の二番目の岩戸開きである。魄の世界を魂の比礼振りに直すことである。ものをことごとく魂を上にして現わすことである。」(合気神髄P.149)
この教えには、自分が今探究している、魂とは具体的に何か、どうすれば現われるのか、身につくのかがある。自分のこれまでの知識とこの教えを合わせて解釈してみることにする。
- 「自己の心は自己の心で祓い」
自己の心には二つの心があるということである。自分がああしたい、こうしたいという心とそれは駄目だとか、こうした方がいいという、謂わば、前者の心の良し悪しを決めたり、監督したり、導く心である。この後者の自己の心を真の心であると考える。故に、「自己の心は自己の心で祓い」とは、俗な自己の心を真の自己の心で祓うということになるだろう。
- 「御剣を通して本当に自己の心から立て直す。これが大神に神習う心魂の禊である」
ここの自己の心も真の心であるが、御剣によって立て直さなければならないということである。御剣とは、須佐之男命の草薙の剣(天叢雲の剣)である。因みに、「天の村雲ということは、いいかえれば宇宙の気、オノコロ島の気、森羅万象の阿吽の気を貫いて自分の魂の気によって、そっくりそれを結んで・・・。それが天の村雲の剣である。」という。
要は、御剣と「自分の魂の気」とあるわけだから、自己の真の心とは「自分の魂の気」、つまり真の心は魂であることになるだろう。
- 「自己の二番目の岩戸開き」
自己の真の心が御剣で大神(須佐之男命)に習って禊がれるのが岩戸開きである。俗な自己の心の俗からの開眼に次ぐ二番目の自己の真の開眼である。
- これによって、「魄の世界を魂の比礼振りに直し、ものをことごとく魂を上にして現わす」のである。
「自己の二番目の岩戸開き」によって、技には魂の比礼振りが生じ、魂が魄の上に現われるようになるということであろう。
この教えから、魂とは自己の真の心であり、その魂を現わすためには、自己の心を自己の心で祓い、御剣を通して大神に神習い、岩戸開きをし、魂の比礼振りを起こし、魂を魄の上に現わすということになるだろう。
これで魂を現わし、つかう鍛錬をすることにしよう。
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