60数年合気の稽古をし、年も80歳を越えてようやく“気”がわかった。はじめは気など分からないだろうし、分からなくとも構わないだろうと思っていたが、段々と気が分からなければ真の合気道にならない事を悟った。
大分長い時間がかかったが、目標に辿りついたので嬉しいかぎりである。勿論、もっと早くに分かればよかったとも思うが、若い内の気の悟りは難しく、ある程度年を重ねないと難しいように思っている。
“気”に辿りつくには、暗中模索の連続であった。気とはどんなものなのか、気をつかえば技がどのように変わり、威力が出るのか、どうすれば気を生み、つかう事ができるのかが皆目見当つかなかった。その状況と過程はこれまで書いてきた論文を見ればわかるだろう。
気が分かった段階で、気にどうして辿りついたのかを振り返ってみると、先人の教えであったことが判明する。しかし、教えはあったのに、それに気づかなかったり、理解できていなかったために身につかなかったのである。
気を感じ、出し、つかうために結びついた印象的な先生の教えが二つある。
一つは大先生の教えである。以前、紹介したが、稽古か終わった自主稽古で仲間と正面打ち一教をしていたとき、打ち合って赤く腫れた手をかばって、力を抜いて打ったり受けたりしていたのを大先生が道場隣りの窓から見つけられて、私の目とあった途端に道場に飛び出され、「そんな稽古をしてはならん」と激怒されたのである。しかし、その激怒を向けたのは、私ではなく、道場で先輩たち数人と雑談されていた藤平光一先生に対してであった。当然、藤平先生や先輩たちは大先生が何で激怒されているのか分からないが、ひたすら頭を下げられていた。責任の無かった先生には大変申し訳なく今でも恐縮している。
当時の正面打ち一教は、お互いに手(尺骨)を力一杯打ち付け、受ける稽古であったので、正面打ち一教は手が腫れる技であった。手が腫れないためには手を鍛え、鉄棒のような手にする必要があった。
今、気が生じるようになったが、気はこの鉄棒のような手でなければ生まれない事がわかったわけであるが、大先生が何故、激怒されたのか分かったのである。そんな手をつかって稽古しても合気の手は出来ないし、気も出ないぞという教えであったわけである。大先生の教え、それも直接的な教えで気に辿りついたわけである。
二つ目である。次の先生は有川定輝先生である。
まず、先生の気への繋がる教えの一つである。先生の稽古が終わって食事をご一緒させてもらったとき、その日の稽古は相手を上手く投げたり、決めたりして気持ちが高揚していたこともあって先生に、技は力を抜いてやればいいんですねと言ったら、先生は「力が無いのに力は抜けないだろう」と皮肉られた。其の時は戸惑ったが、後日、力をつけ、力一杯つかわなければならないと思うようになったのである。中々難しかったが、それが最近ようやく結びついたと実感し、これが先生の言われる力であると思うのである。勿論、先生の腕、また指先まで鉄の棒のような強靱さには及ばないが、その目標に少しは向かう事が出来たと思う。また、先生の強靱なイメージは大きな教えでもあった。
二つ目は、有川先生の強靭な手をつくり、その手をつかう教えがある。
先生とご一緒する時は先生のカバンをお持ちした。先生は「カバンを持つのはいい稽古になる」と言われていた。確かに、カバンを持てば、手に筋肉がつくからいいのだろうと思って先生のカバンをお持ちした。また、一人の時も自分のカバンを持つようにしていた。確かに、カバンを持つことからいろいろな学びがあるのである。手の握力が鍛えられる、カバンと手と足の連動、肩を貫く、手が肩の上にのる等などである。
そして気が出るよう、働くようにもカバンを持っての稽古ができることが分かったのである。そして今のところの究極のカバンを持っての稽古になっていることがある。それはカバンを持つ手を鋼鉄のような頑強な手で持ち、手を凝結するのである。手を凝結する鍛錬となるわけである。今は凝結した手から気が出る事が分かっているので、これは重要な稽古になる。
もう一つある。それはカバンを持って歩き、息を吐く時は腹に息を入れ、息を引く(吸う)時は仙骨を開く稽古である。仙骨を開くと気が体の表を覆い、陽の気が生じるわけである。カバン無しの素手でも出来るが、カバンを持つ方がそれを意識しやすい。カバンで慣れたら、素手でもやるようにすればいいだろう。つまり、通常の歩行でも仙骨をつかって歩くのである。
三つ目があった。最も肝心な教えである。それは「呼吸法が出来る程度にしか技はつかえない」という教えである。それ故、自主稽古ではいつも呼吸法(主に片手取り呼吸法)を稽古してきた。そして呼吸法をやってきたお陰で気も分かったのである。呼吸法を稽古していなければ気は分からず合気道を未消化に終わっていたと思う。有川先生の教えを守ったからである。
ここでは気に繋がる大先生と有川先生の教えを幾つか記したが、これらの教えがなければ、気に辿りつくのはもっと時間が掛かったか、辿りつけなかったかもしれないと思っている。先生の教えを守ったご褒美であろう。