【第989回】 魂の技

気が出て、凝結力と引力で体と技をつかえるようになると、相手がつっぱり、接点で相手をくっつけるようになる。気の技づかいの合気道である。これまでの肉体的な力である腕力で技を掛けていたのとは違う。合気道が求めている技と実感でき、合気道をやっているのだという喜びに浸れる。ここまでくるのに半世紀以上修業したわけであるが、それが報われたわけである。気などあるのかないのか、どんなモノなのか、どうすれば見つけることができ、つかえるようになるのか等々全然わからなかったし、疑心暗鬼で真剣に挑戦する気持ちにもならなかったからである。
しかし修業を続けていくうちに、気が分からなければ先に進めないし、合気道にならないと確信することになる。そう確信してから10数年はたっているはずである。それだけ“気”は手強いものであったのである。

凝結力と引力を発揮する気で相手に技を掛けると強力な力が出るようになる。強力な力とは、これまでの押したり、引っ張ったりの一方的な肉体的な力でなく、相手を突っ張らせ、引っ付ける摩訶不思議な力であり、相手に反抗心を起こさせない愛の力である。因みに「凝結」とは、ばらばらなものが一つにまとまって縮まること、密度が高くなることである。

この凝結力と引力で相手に技を掛けるためには、己自身も凝結できなければならない。イクムスビの十字の息づかいと体づかいで気を生み、気で凝結するのである。前にも書いたように、技を掛ける時だけでなく、準備運動でも、剣をふる際にも凝結しなければならない。故に、凝結のない準備運動や柔軟体操は意味がないことになる。
手や体が凝結することによって引力が発生し触れた相手をくっつけ、凝結させるだけでなく、手や体が自由に動くようになるのである。つまり、頭が体に指示して手や体を動かすのではなく、気が手と体を動かすのである。気は自由で無限であるからである。しかし、己、つまり頭、心(念)が指示して動かしているのである。ここまでが気の領域である

次の領域こそ魂の領域である。
強力な凝結力と引力の気がつかえるようになると、手が無作為で自由に動くようになる。但し、そのためには、先ず土台をしっかりしなければならない。手の場合は手の平が土台になる。手の平に気を入れ、手の平を張るのである。そして、息を吐く時は土台の手の平に気を満たし、息を引く時は土台の上に気をのせる。土台にのったモノが魂である。更に、親指を支点として息を吐き、引くと手は手先から自然と無作為で上がり動く。

手は自由に無作為で動くが、出鱈目に動くわけではない。一つの秩序があり、それに従って動くのである。自分の意志ではなく、その秩序の意志に従って動くのである。その秩序とは布斗麻邇御霊である。この七つの御霊に従って動くわけである。一教も呼吸法もこの形に組み込んでいけばいい。これが魂の領域であると感得する。

この動作は単独動作でもできる。立ったままでもできるし、それに足・腰をつかえば技になる。また、この自由な動き(無作為)に気を入れれば強烈な技になる。この無作為の動きは、気・流―柔―剛でできる。

手が自然に動く。布斗麻邇御霊で動く。気と魂で動く。これが魂の技であると考えている。