【第987回】 合気道からのプレゼント“呼吸法”

年を取り、合気道も長年にわたって稽古を続けている。合気道の素晴らしさは自身では十二分に分かっているし、評価しているが、合気道をやったことも見たこともない方々にとってはそれが分からないし、感心もないようで、寂しいかぎりである。

合気道に誰でも関心を持ってもらい、評価してもらうようにならなければならないと考えるようになった。何故ならば、合気道は世の中のため、人類、地上のためになるはずだからである。合気道的に表現すれば、地上楽園建設の生成化育のお手伝いをするのが合気道であるからである。
一般の方々が合気道に関心、興味を示さないのは、その合気道が世の中に対して、具体的にどんな事ができるのかを示していないからであると考えている。勿論、合気道を嗜んでいる側にも問題があるだろう。伝えきれないということと、それ以前に己自身がそれを自覚していないからである。

例えば、合気道でやっていることを、一般の方々に、こんな事をすれば健康になり、体が丈夫になり、長生きできますよと示してあげられればいいだろう。先ずは身近なところから始め、合気道に興味をもってくれれば更に深い教えのあることを示していけばいい。例えば、生まれてきた意味、働く意味、人や動植物と仲よくする意味、争う原因と解決法、世の中を良くする意義と方法等などである。誰もが日頃抱えている問題や疑問に対する合気道の考えや方法である。

この内、今回は身近な“呼吸法”に関心を持って貰う事にする。テレビや書物で呼吸のやり方を見ているが、合気道の呼吸法とは全然違うし、合気道的に見れば不完全なのであり、何とかしなければならないと思っている。例えば、“深呼吸“は深く息を吐いて(呼)息を入れる(吸)と謂う。合気道では、息を吐いて→吸って→吐くであるから、この”深呼吸“の呼吸法である。この呼吸法を合気道では”イクムスビ“という。
合気道ではこの“イクムスビ”の呼吸法で体と技をつかうが、この呼吸法は合気道で謂う、肉体的な魄の次元の呼吸法である。つまり、合気道には更なる呼吸法があり、そうした方が健康にもいいと思うのである。

それは布斗麻邇御霊の呼吸法である。天地、神の呼吸に合わせた呼吸法である。布斗麻邇御霊を形で表わすと次のようになる。

布斗麻邇御霊についてはこれまで書いてきたので省略するが、“深呼吸”との大きな違いを挙げて置く。
まず、“深呼吸”は口呼吸であるということである。合気道を知らない一般人の呼吸は口呼吸になってしまう傾向にある。合気道では、呼吸は口以外に腹と胸の三か所をつかう。しかも、口と腹、腹と胸、口と胸、胸と腹を一緒に?げてつかうのである。勿論、合気道の初心者でも会得が難しい呼吸法である。
この布斗麻邇御霊は宇宙も万有万物も創造し、固成したと謂われ、技も人の体もこれによって創造、修理、固成すればいいことになる。これは勿論、一般人も合気道家も関係ない。
因みに、年を取ってくると体が硬くなり柔軟体操をしても、頭だけ下がっても腹や胸が下り難くなる。口の深呼吸でいくらやってもできないが、この布斗麻邇御霊の呼吸法でやれば頭や腹や胸が床につくようになる。
恐らく、開脚の柔軟体操で体が硬くなった高齢者が頭や胸を床につくようになるのはこの布斗麻邇御霊でやることしかないように思っている。合気道を知らない人にも教えてあげれば誰でもできるようになるはずである。合気道からのプレゼントである。
もし、体が硬くて開脚の屈伸運動が全然できなかった高齢者が少しづつでもできるようになるだけでも、人は合気道に興味、関心を持ってくれるはずである。合気道に敬意と感心を持ってもらえ、合気道が社会に溶け込んでいくはずである。