【第987回】 魂のひれぶり

幽界や神界の目に見えない次元での稽古に入ってくると、技の良し悪しや体の動きの良し悪しは己の体の感覚で判断し、調整するようになる。体がこれはいい、これは駄目でこうした方がいいと謂ってくるのである。頭ではなく、体なのである。因みに、顕界での魄の技づかいでは頭が判断し、頭で操作することになる。勿論、頭の働きも大事であるが限界がある。段々分かってくるわけだが、相対稽古での技は頭では上手くいかない。頭でやると相手とぶつかり合い、争いになる。頭では物理的、闘争的、相対的な力をつかう事になるからである。
その点、体は誠実である。嘘はつかないし、間違ったことはいわない。実際に感じているからであり、その感じを変える事も偽る事も出来ないからである。
この感覚はひびきである。体から発する気や魂のひびきであると感得する。故に、気と魂が身につかなければこの体の感覚、体のひびきを感じる事はできないと思う。

体の感覚で分かってきた事があるので、その一つを記してみたいと思う。それは布斗麻邇御霊である。これまで研究し、技に取り込んできたが上手くいかないでいた。しかし、頭から体の感覚に移ると、これまで見えなかった事が見えてきたのである。その見えてきた布斗麻邇御霊は次の通りである。

息を吐きながら体を膨らませ天地と一体となる。体を膨らませていくと体の中心に・(ポチ)ができる。言霊“あ”でやれば分かり易い。
息を吐きながら体を地に下ろす。この円は五重であり意味があるはずである。これまで頭で考えていたので分からなかったが、体がこの五重円を教えてくれたのである。それは内から、腹(・)、両足(二重円)、両手(二重円)である。故に、ここでは腹、両足、両手をしっかり地に下ろさなければならないことになる。また、五重円はしっかり、力強くという意味もあると感じる。実際にそうしないと上手く技がつかえない。言霊“お”でやれば分かり易い。
息を吐きながら腹を横に大きく開き、腹中の気を引き乍ら出る。これに合わせて手も引きながら出ることになる。これを息陰陽というはずである。つまり、息陰陽はこの息づかいが必須ということになる。この言霊は“う”である。
息を吐きながら、腹中の気を引いて腹が前足と十字になると、息と気と腹が地に縦に自然に下りる。
息と気と腹が地に縦に自然に下りると腰腹を中心とした十字ができる。腹・肩と足の十字である。△が四つ集まった形である。この十字から気が生じ、気が腹から胸に上がっていくのを実感するのである。ここまで“う”の言霊である。
気が腹から自然と胸に入ってくるが、吐く息から引く息に変わる。
この言霊は“え”である。
最後の御霊であり、技の収めの息づかいである。これは布斗麻邇御霊の教えでは「出息の御タマと入息の御タマとクミて呼吸をなす」とある。腹で息を出しながら、胸で息を引いて技を収め、剣を切り結ぶということである。これまでは腹と胸で息を吐いて技を収めていたが、上手くいかなかったのはこのせいだったわけである。
尚、この息づかいは複雑なようだが、開脚柔軟運動の最後で頭・胸を床につける際の息づかいである。
布斗麻邇御霊だけではなく、息陰陽水火、気や魂も体の感じ、体の感覚で分かってきたわけであるが、この感覚は体のひびきを感じることである。また、ひびくのは気であり、魂であると考える。そしてこのひびきを大先生は「魂のひれぶり」と言われているのだと考えている。