【第986回】 年を取ってくるとみんな繋がってくる

これまで半世紀以上にわたって合気道の稽古をしてきた。主な稽古は技を身につけることであった。何度も何度も繰り返しながら一つ一つの技を身につけてきたので、ほとんどの技は身についているはずである。勿論、上手い下手はある。
80才を過ぎたころから、これまでバラバラだった基本技が繋がってきた。例えば、(正面打ち)一教は二教、三教、四教と繋がり、また入身投げ、四方投げ、小手返しとも繋がってきた。これらの繋がっている技は一教が出来る程度にしかできないことも分かった。

更に、合気道の技はすべて繋がっている事が分かって来る。合気道の技には共通項があるからである。例えば、その共通項は○△□である。合気道の技はすべてこの○△□に収まるのである。
これを教えて下さったのは合気道の開祖の大先生である。技をこの○△□に収めてつかう事によって大先生と繋がってくる。大先生がこれを見つけられ、我々後進達に教えようとされたお気持ちがわかるからである。
合気道だけでなく他の武道でも沢山の重要な教えがあるが、その教えに触れた際はその教えの名人・達人と繋がることになる。

繋がりは更に拡がる。宇宙との繋がりができてくる。天地宇宙を創造修理固成した布斗麻邇御霊で技と体をつかうことによって天地と宇宙と繋がり、又天之御中主神、高皇産霊神・神皇産霊神、伊邪那岐神、伊邪那美神の神様達とも繋がってくる。
また、合気道の技はフトマニ古事記によって生み出していかなければならないと言われるよう、布斗麻邇御霊は古事記と繋がっているから、古事記とも繋がってくる。学校では勉強したが、繋がりはなかったものが繋がってきたわけである。

己の過去も繋がってくる。何が何だか分からずに生きてきた事が繋がり、生きるという意味と使命が分かってくるのである。これまでやってきた事には意味があり、それがやっと集結していることが実感出来る。死んでもおかしくない場面が3,4回あったが、今のために生かされたのだと実感するのである。

己自身の心と体も繋がってくる。体にも心があり心のこころと対話をし、これはいい、これは駄目だからこうした方がいいというのである。合気道で技をつかう際には体の心が主導権を握っているようだ。
自分の心と体が繋がると、目に見えないものを見るようになる。顕界から幽界・神界への移動であり、繋がりである。
この繋がりから、草花樹木など万有万物と繋がっていくことになるし、現在と過去や未来とも繋がっていく。

等々、これまでひとつひとつバラバラだったことが、みんな繋がってくる。高齢者のメリットであり、高齢にならなければ出来ないことである。