以前にも書いたが、大先生から「合気道は、周知のごとく年ごとに、ことごとく技が変わっていくのが本義である」とお聞きして困惑したことがある。入門したての事だったので、今必死になって覚えている技が来年には変わってしまうのかと心配し、これは大変なことだと思ったものである。しかし、稽古を毎日やっていても技が変わる様子はないので、この教えは忘れてしまっていた。
先日、日本古武道演武大会を観覧させてもらった。毎回、見させて頂き勉強させてもらっている。合気道の先輩格であるから、過去の武人や技に繋がることもできる。また古武道は貴重な日本文化であり、後世にも残さなければならないと思う。いや、日本文化というより人類の世界遺産であると考える。
しかし、見に来た来場者が少なく、毎回、少なくなっているように感じる。
また、出場者の数も少なくなっているようだから、古武道を習う稽古人も減少しているはずである。
そこでこのような素晴らしい古武道に何故人が集まらないのかを考えてみた。
稽古人や観客が減るということは古武道への興味が少なくなっているということである。では何故、本来人を魅了した古武道に人は興味を示さなくなったかということである。そのヒントは合気道にあると考える。開祖植芝盛平翁の教えにあるということである。
合気道はお蔭様で稽古人も増え続けているし、知名度も上がっているからそこに理由があるはずである。古武道が普及発展するための参考になるはずである。
開祖は、「合気道は、周知のごとく年ごとに、ことごとく技が変わっていくのが本義である。合気は日々、新しく天の運化とともに古き衣を脱ぎかえ、成長達成向上を続け、研修している」と教えておられるのである。
日々どのように変わらなければならないかの例として次のように教えておられる。「昔は鳥船の行事とか、あるいは振魂の行事、いままでの鳥船や振魂の行ではいけないのです。日に新しく日に新しく進んで向上していかなければなりません。それを一日一日新しく、突き進んで研究を、施しているのが合気道です。」
私の場合でも、毎日ではないが数日で研究テーマが変わっている。ここ数日間は足底の三点を踵→小指球→母指球と移動しての鳥船を研究している。
つまり鳥船は変わっていくのである。昔のままの鳥船では駄目だという事なのである。水に入る前の準備運動とか心身を禊ぐためだけではないのである。
合気道の技もどんどん変わらなければならない。技は天地宇宙の意志と営みを形にしたモノである。これを合気道の型に取り込み組み込んでいかなければならない。これは宇宙規模あるわけだから人がどれだけ頑張ってもそのすべてを取り込むことは出来ないし、人が何世代掛かっても不可能だろう。技は終わりなく変わっていく宿命と可能性があるのである。
しかし、変わっていくものがあれば変わってならないものもある。変わってはならないものがあるから変わる事ができるとも言える。
その合気道では変わってはならないものは何かというと、宇宙の意志と営みとの一致である。要は天地宇宙との一体化と地上楽園・宇宙天国建設の生成化育である。前者は小乗、後者は大乗である。どのような技をつかっても変わってはならないものなのである。
古武道の各流派の開祖は、合気道開祖のようにこの変わってはならないものと変えてもいいものを持っておられたはずだと推測している。今思いつくのは、例えば、北辰一刀流の流祖千葉周作の変わってはならないものは「それ剣は瞬速、心、気、力の一致」であり、変わってもいいものは打ち合いの稽古法(掛かり稽古)。免許の段階の簡素化。神秘性に偏らない、合理的な指導法等であろう。
人は普遍的に追求するもの、したいものがあるようだが、この道にそって時代と共に変わらなければならないものもある。このどちらかが無くなると衰退するか消滅すると考える。