【第984回】 自らに課す挑戦

これまで多くの名人・達人、有名人たちの言葉や考えを取り上げてきた。その人の絵、作品、活動などで感動した方々である。感動を受ける人には我々を感動させるものを持っており、多くの教えになるからである。感動を与えるモノと人と考えは密接に関連しているわけだから、その人の生み出したモノに魅力があれば、その人の考えにも魅力があることになるわけである。

先日、例によってテレビをつけたまま新聞を読んでいると、「自らに課す挑戦」という言葉が耳に入ってきた。テレビに目をやると、世界的に有名な指揮者小澤征爾の回顧録番組であった。小澤征爾があれだけ世界中から評価されているのは知っていたがその理由は分からなかったので興味深く見ることになった。

幾つかの興味深い事をいわれているようなのでメモした。そして合気道と己の合気道修業に重ねてみた。
何故、小澤征爾の言ったことに興味を持ったのか。まず分かってきた事は、己の興味あるモノは合気道に関係するものだけであるので、小澤征爾のいう事は合気道と関係することになるはずであり、興味の対象になるわけである。

まず、主題の「自らに課す挑戦」である。小澤征爾は、指揮の動きをメソッド化するという世界でも稀な偉業を成し遂げたレジェンドである斎藤秀雄(1902-74)に学び指揮を学んだ。無名な音楽家から超一流の指揮者になったわけだが、如何に努力したのかは予想できる。体の動きの法則、音楽の仕組み、音作りなどを身に着け小澤流の音楽をつくるために自らに必要な事を課し、そしてそれに挑戦した事は分かる。
この「自らに課す挑戦」こそが成功の秘訣であるということである。合気道開祖の植芝盛平翁も「自らに課す挑戦」をされたことは間違いないだろう。己も「自らに課す挑戦」をしなければならないという教訓になる。

小澤征爾(敬称略)が指揮すると緊張感が漂い、音色が変わったと言われる。合気道的に解釈させて貰えば、小澤征爾は目に見える次元、耳に聞こえる次元から、目に見えない次元、耳に聞こえなくなる次元で指揮をしていたと考える。幽界、神界での指揮である。目に見える音符ではなく、天地宇宙との響き合いである。楽団と楽器をつかって天地宇宙に響かせたのである。
それ故、楽団の心を瞬時に捉え、集中力と情熱により、一糸乱れぬ演奏指揮ができたのであろう。
合気道においても大先生の技がそうだったと思う。目に見える次元では相手と一体化することはできないから、技は効かないし、人を納得させることは出来ない。

小澤征爾は、作曲家の意図、考え、気持ちを少しでも多く読み取ろう、指揮演奏に現わそうとしたという。楽譜を慎重に何度も見、音符が何故こうなっているのか、これはどういう意味なのかを考え抜いたという。
合気道に於いてもこれは重要である。合気道をつくられた大先生のお考えや技を読み取るようにしなければならないということである。技の意味、技の仕組み・構成、合気道の目標等を読み取るのである。只、技をなぞっているようではど素人の三文演奏のようになってしまう。

小澤征爾が日本の教え子の楽団達に、「世界的な有名オーケストラを自分たちとは違うんだと思ってはいけない」と言っていた。そして「言葉や環境は違い、世界は違うが共通点がある。芯のところではつかまえられる。」と。
合気道でも目に見える魄の世界では大小強弱の違いがあるが、目に見えない幽界、神界ではそれは関係ない。この芯のところで技をつかうようにしなければならない事になる。

偉人からは大切な事を学ぶ事ができる。自分一人で出来る事は高が知れているわけだから、少しでも多くの偉人から学び続けようと思っている。