「第980回 頭の働き」では技を掛ける場合は頭をつかわなければならないと書いた。正面打ち一教でも、呼吸法でも、二教裏でも頭をつかうと強力な力が出るし、技も上手く収まるのである。
しかし今回は「頭の働きは両手にまかす」と頭をつかうのではなく、手をつかえというのだから矛盾していると思うだろう。頭で技をつかうことは了解できるし、実際技につかえるが、頭をつかわないで手で技をつかうとはどういうことなのか理解出来ないだろう。普通は頭が手に、手に力を入れろ、手を上げろ、下げろ等と手に指示をするから、頭の働きで手つかっている。
頭で手をつかっている内は気や魂の技は出て来ない。何故ならば、頭で考え、手をつかうと魄の力が出、魄の技になるからである。
合気の技をつかうためには「頭の働きは両手にまかす」でなければならないのである。
「頭の働きは両手にまかす」とは、頭の機能を手に委ねよということである。手を頭のように働かせろということである。
それでは手をどうすればいいかということになる。手に頭をつけ、目をつけ、体の声を聞く耳をつけ、自分の心身や相手を感じる触感を敏感にし、その手の働くのに任すのである。
このように手が働くためには、手を鍛えなければならない。折れ曲がらずにしっかりした手でなければならない。また、気が生まれる、気で働く手でなければならない。気が働けば、相手に引っ付き、相手が凝結することになる。それを手が感じ、手がやってくれる。頭でやる必要はない。手が主導権を取っている事になる。
手に気が生まれるためには、はじめはイクムスビの息づかいで手をつかえばいい。慣れてくれば手に何時でも気が出ており、相手に触れただけでも相手をくっつけたり、導く事ができるようになるはずである。
手は頭で指示しなくとも働いてくれるが、無暗に働き動くのではない。宇宙の営み、法則に合致して動くのである。例えば、布斗麻邇御霊、天火水地、一霊四魂三元八力、息陰陽水火等々である。宇宙、天地の営みであるから小さな人の頭などつかわなくとも手は宇宙の営みに従って働いてくれることになるわけである。
要は、手が頭の指示がなくとも働くためには、手を鍛え、しっかりした手をつくること、その手から気が出るよう、つかえるようにすることである。そして布斗麻邇御霊、天火水地、一霊四魂三元八力、息陰陽水火を身につけなければならないという事である。