【第983回】 『脳は耳で感動する』と合気道

尊敬している解剖学者の養老孟司先生の本が出たので読んだ。養老先生と現代音楽の作曲家である久石禳さんとの対談である。久石さんは宮崎駿監督作品や北野武監督作品の音楽を担当した方である。
このお二人のお話は合気道をやっている者にとっても大変興味深く勉強になったので書くことにする。
形式としては、彼らが語っている興味のあった箇所とその点での合気道での関係をコメント(イタリック体)してみることにする。これで解ると思うが、お二人の最先端、普遍的な知、思考とそれと合気道は一致しており、合気道の素晴らしさを改めて知る事になった。尚、養老は養老孟司先生、久石は久石讓先生の略である。

<閃き>
養老:「僕が閃くわけではなくて自然が閃くことばかりだから、向うが勝手に閃くからですよ。」「自分が閃かなくて困っている人は、みんな自然の中に出ていけばいいんです。」「何かを発明発見していくには、そういう偶然をつかまえる能力を根本にないとダメなんです。」(P.83)
合気道:合気道は発明することではない。自然・宇宙にすでにあるモノを見つけるだけである。何か発見するのはここでの「閃き」である。しかしこうすれば発見できるというのではない。閃くため、それをつかまえる能力は必要なのである。閃きを合気道ではひびきというのではないかと考えている。

<意識>
久石:「やっぱり意識が介在している分、音楽として純粋なものではなくなってしまうようなところがある」
養老:「意識というのはいわば偏見ですからね。そもそも我々は、意識というものが何なのかもわかっていない。」
久石:「意識はどんなに頑張っても、無意識にはかなわないんだ」(P124)
合気道:合気道:合気道の技も意識が入ると濁ってしまう。相手はこちらの意識に気づき、警戒し対抗するようになる。意識が入らないとは、宇宙の意志、自然に任せるということである。宇宙の営みと合致することであり、これが合気道の目標である宇宙との一体化ということになると考える。意識は人間のもの、無意識は宇宙のもの。人は宇宙には敵わないのである。

<いい音楽=いい技>
久石:「一つの音をポンと時間軸に置いた。そこからさまざまな有機的な結合をして、時間の中で音楽が構成されていく、その作業が始まった瞬間から、それは客観的なものとしてつくられるのが最高のいい音楽だと僕は思います。そういうことでいえば、モーツァルトは、時間軸上で客観的に構成された傑作だからこそ時代を越えて普遍的ないい音楽になりえたのではないかと僕は思っているんです。」「昔からドイツの哲学者が認める音楽は、バッハからベートーヴェンまでなんですよ。なぜかというと、時間の中での構築物として論理性がはっきり分析できるから。そういう形できちんと論評できる。客観視できるようにつくられた音楽が、哲学に値する音楽ということになるー というわけです。」(P98)「完成度の高い曲は音符の並び方がどのページを見ても美しい。」(P105) 「数学者もよく、定理や理論は美しいほどいいといいますね。」(P106)
合気道:上記の文章の「音楽」に「(合気道の)技」を入れ替えてみればいい。いい音楽はいい合気道の技ということになる。“さまざまな有機的な結合”とは合気道に於いて、宇宙の営みであり法則が結びあうことであり、主観的ではなく客観的なものであり、客観的に構成された傑作ということである。それ故に合気道も時代を越えて普遍的ないいものということになる。
また、完成度の高い技は、技を構成する要素(布斗麻邇御霊)の並び方や動きのどこを取っても美しい。武道で云う、隙がないということである。開祖の技は何処の部分を切り取っても美しいことを見ればわかるだろう。


<生物の基本は螺旋活動>
養老:「視覚に表れるリズムって『螺旋』なんですよ。形の真髄はリズムである。」「螺旋活動は生物としての進化の運動性は、円運動にズレが生じていくわけですから、螺旋状になる。」
合気道:合気道の技は円の動きの巡り合わせである。手、足、腰腹などの円の動きの組み合わせが技になるが、それぞれの円の動きがズレることによって螺旋になる。この螺旋は止まったり、切れない軌跡のリズムであると感得する。要は、合気道の技は直線ではないのである。円であり、螺旋であり、リズムがあるのである。

<情報>
養老:「他の人の言っていることや書いていることを上手に整理してまとめていくのは『情報処理』なんです。ものを書く、ものをつくるとは情報化すること。『情報化の作業』と『情報化処理の作業』はまったく違う。」「情報化は大変な作業ですよ」(P129)
合気道:合気道の稽古も情報処理に終わってはならない。最初は先人の教えを学び、身に着けなければならない。情報処理が必要であるが、次にそれを基に先に進んでいかなければならない。合気道の教えにも、合気道は日々変わらなければならないと教えている。情報処理だけでは先に進めないし、世の中をよくする事ができない。少しでも地上天国建設、地上楽園完成へ近づくために情報化の作業での稽古をしなければならないのである。

<感覚>
久石:「今、明らかに感覚というものが衰退の道に入っている。我々のアンテナが鈍っている。そのことによる問題がさまざまなところに出ている。やはり野生の思考に戻るというか、本来人が持っているものに回帰するような日々の過ごし方というのを考え直さないといけないんじゃないですかね。」
養老:「今の人は生きているという感じが見えないんです。自然に入っていくことが感覚のバランスを取り戻すことになる、ということを言いたいんですよ。」(P196) 「人間は慣性と情緒がないと生きていけない。」(P238)
合気道:合気道は相手と精神的と肉体的に接して技を掛け合うので肉体的にも精神的にも感覚を磨く事ができる。一般の人は自然に入って行かなければならないだろうが、合気道は超自然な自然である。何せ宇宙の次元なのであるから。合気道は、海川、野山、森林などの自然よりも超自然なのである。合気道を修業すれば感覚が鋭敏になること間違いない。


参考文献 『脳は耳で感動する』 (養老孟司 久石讓、 実業之日本社)