開祖は「十字つまり合気である」とされていることから、合気道は十字道であり、(取り敢えずここでの合気を気とし)気は十字から出すとして鍛錬してきた。そして気の威力を身につけ、気で技をつかうようになった。大先生が云われている気は引力と凝結力があるとの通り、相手を引力でくっつけたり、相手を突っ張らせることも出来るようになった。目に見えないものが見えるようになり、幽界の次元の稽古に入ったと実感している。
故に、皆目見当もつかなかった気は十字から生み出し、そして十字につかえばいいのではないかと考える次第である。
十字には大きい十字から小さい十字と様々ある。大は天地水火の十字であり、小は身体の一部の手掌づかいの十字等である。要は、大小の十字を共に並行してやることである。
大の十字を大先生は、天火水地の十字の交流が合気道であると次のように教えておられる。「天地火水」十字の交流。天火水地の十字の交流によって生みだされる言霊の響きによって宇宙万物が生成されたのであり、それに習うことが合気の道なのである。」
合気とは宇宙万有万物と結ぶ気と考えるが、ここでは分かり易くやり易くするために“気”とする。
魄の次元の稽古から気の次元の稽古に入るのは容易ではない。一大決心が要る。何せ、それまでと反対の事をしなければならないからである。一旦は下手になり、弱くなる。特に、息づかいが違ってくる。
まず、気を知ろうとするならば気をつかう先生や先輩の受けをとる事である。受けを取り乍らその先生や先輩の息に合わせるのである。吐いて、吸って、吐いて・・・に合わせて受けを取るのである。大先生の受けを取った方々は気を身につけ、逞しく、上手になっていることを考えればわかるだろう。
因みに、二教裏でイーからクーで息を引くところを初心者は取りも受けも大体息を吐いて頑張っている。
次は、息づかいで体と技をつかう事である。息づかいはイクムスビである。イーと息を吐き手先を伸ばし、クーと息を引いて手を拡げ、ムーと息を吐きながら手を出すのである。後でわかってくるが、これで気が出るのである。イーの縦とクーの横、そしてムーの縦で手が十字になるからである。
これは手の縦の十字づかいである。この縦の十字づかいは魄の稽古ではやっていないはずである。やっていたのは横の十字である。手と腹を結び、腹で手を腹を中心に縦→横→縦・・・とつかっていたはずである。
足も撞木足で左右の足が直角の十字で前足に腹を載せて左右規則的につかう。これは足の横の十字である。後述するが、これに腰がのり、足方向に腹が十字になれば気が上がって来る。
足の縦の十字もある。足を地に下ろす(縦)→足を横に拡げ上げる(横)→反対側の足を下ろす(縦)・・・である。高齢になるとこの足の縦の十字の働きが衰えるので歩けなくなるわけである。
次は腰腹である。足と手をつなぐのは腰腹である。腰と腹は一体で表と裏、体と用の関係にある。細かい事を気にすると気の養成にならないので腰腹を一つに説明する。
手足だけでは手の気、足の気は出るが体全体の気は出難い。体全体の気を出すにはどうするかというと、イクムスビのクーで腰腹を前足にのるようにし、腰と足と手を一体化しなければならない。このために腰腹を前足にのせると同時に、前足の方向に対して十字(直角)にするのである。
腰腹が十字になると体が自然に地に下りと同時に体が反転し、体全体の力が出る。これが体の気である。諸手取呼吸法や体力のある相手にはこの体の気をつかわなければ相手は動かない。
正面打ち一教でもこの腰腹の十字をつかえば相手とくっつき、相手をつっぱらせる事ができるのである。腰腹の十字がなければ上手くいかないはずである。
先ずはイクムスビの息づかいで技と体をつかうのがいいと考える。とりわけ
手をイクムスビの十字でつかうことからスタートすればいいと思う。
気が出、つかえるようになれば技が変わる。相手にくっつくし、相手は突っ張るようになる。技は相手が突っ張ってはじめて効くので、突っ張るようにしなければならないのである。それは気である。
イクムスビは気の養成であるが、この後の魂の養成にも繋がって来る。また、これまでやってきたことが全部つながり、統合してくるようであるから、こんなことをやっても無駄ではないかなど考えず、やるべきと思う事はしっかりやればいい。