【第983回】 魂を磨く

前回は「ようやく魂に辿りついた」を記した。合気道の修業の最終目標であった魂に行き着いた事は最高の喜びである。合気道の修業でこれほど嬉しい事はないし、合気道の修業を続けてきてよかったと真から思う。

何が何だか全然わからないものを見つけるのは容易ではなかった。何もわからない魂などあるのかどうかもはっきりしないし、魂がわかったところで己の合気道がどのように変わるのかもわからない。魂などわからなくてもいいのではないか、魂でなくとも合気道の技は支障なくつかえるのではないかなどと思ったこともある。
このような迷いや不安を払拭したのは大先生の教えである。『合気神髄』『武産合気』の教えである。何度も読み返すうちに魂はあるし、魂を身につけなければならないと確信したわけである。

前回のテーマは「ようやく魂に辿りついた」であり、魂に辿りついたわけだからこれで合気道の修業の目標達成ということで、この論文も終了となってもいいのだが、続ける。論文を書き始めた頃はそう思っていた。何故ならば、恐らく魂には辿りつけないと思っていたからである。
しかし、辿りついてしまうと考えが変わってくる。辿りついたのはこれまでの稽古・修業のゴールであるが、魂のスタートだと分かったからである。
大先生の教えにも、魂とは何かと魂の働きの教えとその魂を磨いていかなければならないという教えがある。つまり、前者は魂に辿りついた事であり、後者はこれからやらなければならない事である。

これからやるべき事、魂の修業を大先生は次のように教えておられる。

つまり、魂を磨く事である。やっと辿りつき身つけた魂を、今度は磨いていくのである。磨くのは気である。故に気も練っていかなければならない事になる。恐らく気を練り、気を鍛えていけば魂が磨かれるのであろう。

更に、大先生は気以外でも魂を磨かなければならないと次のように教えておられる。
「合気道で宇宙の魂を磨く者は、この源をよく究めて、宇宙の真理にかない、宇宙の御心にかなうように、万有愛護の心をもって、世の中の生きとし、生けるものに喜びを与えるように接しなければならない。」(合気神髄 P.114)

因みに、魂を磨けばどうなるかというと、大先生は「このことは、やがて己に宇宙の喜びの大声に迎えられる日がくることなのである。」と言われているのである。素晴らしいではないか。
これからは魂を一生懸命に磨くことにする。