【第982回】 体で感じる

合気道は、合気道の基本の型(形)の上に技を練る武道であるが、技の練り方はどんどん変わっていくことが分かった。
1)はじめは体を型にはめ込むべく動かす。型を覚える事であった。2)次に息で体を型にはめ込む稽古になった。息を吐き、吸い、吐くで体を練る稽古である。3)ここからイクムスビの息づかいで技を練るようになる。そして気が生まれ、気で技が練れるようになる。4)気が働くようになると魂が生まれ魂が魄の体を導くようになる。
 
1)と2)までは体を物理的・物質的につかい、目で見ての理屈での稽古である。これを顕界の稽古、魄の稽古というのだと思う。
次の3)と4)は精神的、目に見えない次元の稽古であり、幽界・神界の稽古、魂の次元の稽古と考える。
1)と2)顕界・魄の稽古では目で見る事と理屈によって技の良さ悪さを判断したり、修正、改善をする。
しかし3)と4)ではそれが出来ない。それでは技の良し悪し、修正、改善は何をもってするのかということになる。

それは体での感じである。ひびきと言ってもいいだろう。前からよくつかっていた“びびっと感じる”の体の感じである。特に、4)の魂の次元の稽古ではこの体で感じる事が重要というより、MUSTになる。

体で感じるとはどのようで、どのように修練できるかということになる。いろいろあって、人によって違うと思うが、私の方法を記す。
布斗麻邇御霊の形を“あおうえい”の言霊で体が感じるのである。この訓練から始める事である。

“あ”でと宇宙が拡がると同時に中心ができる。この形を実感する。
“お”でと地にしっかり下りる。地に体が下りる実感がする。
“う”のの気が腹中から胸に上がってくる。また一方、腹中から気が足下に下がっていく。これは自然に動き、摩訶不思議で頼もしい感じである。
“え”での気が腹中から胸中に入りとなり、そして
“い”でとなり、頭や胸・腹に収まる感じがする。

技を掛けるにもこの布斗麻邇御霊と“あおうえい”の言霊をつかい、体で感じるように体と技を練っている。最早、型の追求ではなく体の感じるところの判断になる。体がよしとすれば、型に無駄がなく、必要なものを備えたものであるはずだと考える。
大先生がよく言われた、合気道には形がなく、すべて響きであるということはこの事のように考える。