最近、急に道場での相対稽古で強力な力が出るようになった。これまでにない異質で強靭な力である。力の質と量が変わったということである。
そこで何故何が変わったのかを考えてみた。そして大先生の教えが頭に浮かんだ。それは「魄が下になり、魂が上、表になる」である。そしてこれが魂に導いてくれたのである。
道場での自主稽古では片手取り呼吸法を毎回やっているが、最近、上手く出来るようになった。上手く相手を導くためには、腹(体重)を手の下に常に置くようにしなければならないを心掛けてきてようやくそれが出来るようになった。
もう少し詳しくいうと、手が魄である。しかしこの魄の手を動かすと魄力となり、相手にぶつかったり、抑えられてしまい技にならない。そこで魄を動かすのではなく、魄が動くようにした。魄は動かすのではなく動かされるものなのである。故に、魄を動かすものがなければならない事になる。もし魄を動かすモノがなければ魄の手は停止していなければならないから、何か動かすモノがあるはずである。それが魂であったのである。「魄が下になり、魂が上」とは魄があれば魂があるということになるからである。これは全然わからなかった「気」に辿りついたのと同じ考え方である。気はわからなかったが、気の働きである引っ付ける力の引力と相手を突っ張らせる凝結力が働いていれば、それは気の働きであり、気であるということで気がわかりつかえるようになったわけであるが、この手法で、魄があれば上に魂があることになるわけである。只、技をつかう際は、「魄が下になり、魂が上」に常になっていなければならないのである。
この魄と魂の表裏一体で強力な力が出るようになったということである。
これまで片手取り呼吸法でやってきた「腹(体重)を手の下に常に置く」とは、「魄が下になり、魂が上、表になる」であったわけである。そして魂が魄をつかうようになってこれまで以上の強力な力が出るようになったということである。魄の力に加え、魂が働くからである。
これまで長年にわたって、「魂」を求めてきたわけだが、ようやく魂に辿りついたようだ。
しかし、果たしてこれが「魂」なのかどうかは定かでないので、この魂を確認しなければならない。確かに、これまでにない強力な力が出るようになったわけだから、これまでの気の力以上の何かが働いているはずである。この何かこそ魂であると考えるわけである。また魂にも引力も凝結力もあるが気力よりも強烈であることである。これらの実感からこれは魂であると思え、体が魂だと言ってくれるのである。
次に、大先生はこれが魂であると言われている教えが幾つかあるが、それに合致していれば魂に間違いがないと思っていいだろう。例えば、