長年合気道の稽古を続けているが、最近気になる事がある。気になる事とは、一部の人たちや一過性の事ではない。故に気になるわけである。ごく一部の人がたまたまというなら気にもとめないが、この気になる事はますます増幅していき、事態を悪化させるように思える。大先生がつくられた合気道の教えの理念に反しているとも思うので何とかしなければならないと考えるのである。
その気になっている事は何かというと、合気道を数年、数十年と続けて行くと暗くなっていくことである。稽古を始めた頃の明るさが消えて暗くなるのである。それはまず顔に現われるが、技や動作、そして言動にも現われる。まわりの知人や友人を見ていると多くの場合その傾向にあるように見える。
この傾向が続けば、合気道の目標である世の中をよくする、つまり地上楽園建設に反する事になり、合気道の稽古を長く続ける意味がなくなってしまう。
何故、稽古を長くやっていると暗くなるのかを考えてみると、その理由は魄の稽古から脱出できないからだと思う。魄の稽古をしていると、物質・肉体的な稽古で、相対的稽古、つまり相手より上手いか下手か、強いか弱いかになるからである。そして真の実力とは関係なく、自分は強く、上手いと思い込み、周りにもそれを期待する。しかし、他人は本人の希望するような評価はしないので、不満になったり、強がったりすることになる。これが暗い顔であり、光を失った姿と考える。
ということは、光を取り戻すためには稽古法を変えなければならないと考える。魄の次元の稽古を精神的次元の稽古に移せばいいという事になるだろう。顕界から幽界・神界に入るわけである。
何故、そう言えるかというと、自分自身の体験である。自身も過っては暗い時期があった。合気道の稽古は一生懸命にやっていたし、仕事も頑張っていたが、今思えば、暗かった。
そして或る時、光が戻ってきた。稽古をしていても、合気道は確かに世の中をよくできる。地上楽園建設はできると確信したのである。その頃は、それまでのように相手を倒そう、決めようとか相手に負けないようにとかではなく、自分との戦い、宇宙の法則の技を取り入れ、宇宙との一体化をしようと思うようになっていた。そして不思議と相手を思うという、所謂、愛を感じ、また、悪いことを考えたり、やらないようになった。そして確信した事は、もし、合気道を稽古している人たちがこうなれば世の中はよくなるはずだと思ったのである。大先生の教えはこれだったのかと分かったわけである。合気道は世の中を変えられると確信した瞬間である。
この或る時とは、顕界から幽界、つまり、魄の稽古から気の稽古の次元に入った時となる。故に、光を取り戻すためには顕界を離れ幽界に入ればいいということである。
大先生は光を生じ、光る合気とするために次のような教えを残しておられる。
<稽古法>