【第978回】 魄が下になり、魂が上、表になる

前回の「合気道は十字道」で書いたように、体が了解してくれたお陰で更にわかってきたことの次の例を書く。それは「魄が下になり、魂が上、表になる」という教えである。これまで多少はわかったつもりでいたし、技でつかう事もできるようになっていたが、いま一つよく分かっていなかった。また、技も上手くいったりいかなかったりと不確実であった。そこで確実に魄が下になり、魂が上、表になるようにするようにするためにはどうすればいいのかを試行錯誤していた。

まず、「魄が下になり、魂が上、表になる」とはどのような状態なのかを考えてみた。一般的には、魄の手を下にし、その上に気をのせてどの気で魄の手を動かすということになろう。はじめは、気は分からないだろうから気持ちにすればいいだろう。勿論、気持ちで手を動かすのは難しいから息で気持ちと手をつかわなければならないだろう。
しかしこれはまだ魄の次元の技づかいである。故に、上手くいったりいかなかったりすることになる。

この間、水火で技と体をつかう事を覚えた。それらはこれまでの論文に書いてきた通りであるので詳細は省くが、今回のテーマである「魄が下になり、魂が上、表になる」に関係のあるものをつかう事によって上手くいくようになったのである。
それは、水火の水で息を吐き、火で息を引くが、その際、水で手の平に気が満ち、火では手の甲に気が満ちる。故に、水火の手は常に張り続けている事になる。また、手の平と甲の気は掌底→小指球→母指球→掌底・・・と流れる。手掌と足底はシンクロするので手掌は足底と共に動く。
つまり、手は動かすのではなく水火や足腰によって動くのである。
また、何度も書いているように、手の縦の円の動きや手鏡で相手を手の内に入れてしまうから、手を動かしてしまえば相手との結びは切れてしまうので手は動かせない。

それでは手の内にある相手を、手を動かさないでどのように導き技にできるかということになる。
手を動かさないということは、相手と接している箇所にある手の接点を動かさないということである。その接点の下にある相手を手で動かさないで動いてもらうわけである。
これは魄が下にある状態であり、この上から気(気持ち)が押えていることになる。このままの状態では相手も己自身も動けないので技にならないし、もし、ここで手を動かしてしまえばそれまで下にあった魄の手が上になってしまうから法則違反になり、技にならないことになる。

それではどうすればいいかということになる。それは水火の法則で手つかうのである。接点にある手を、息を引きながら手の甲に気を十分満たし流すと手の甲が上に上がる。と同時に掌底から小指球そして母指球に気が流れると手先が陽に出る。息陰陽水火の理である。息を吐く時は手の平に十分気を満たす。手を落とす際は水、手を上げる際は火となる。
つまり、接点で結びを切らずに、結んだまま相手を水火の手で導く事である。手を動かすのではなく、手を張り付けたまま水火の気で動かすのである。

水火の手の平は息を吐いて働く魄の手、手の甲は息を引いて働く手なので気(魂)の手と考える。手の平は手の甲の下にあり、手の平が手の甲で導かれるのである。これが「魄が下になり、魂が上、表になる」と実感出来るのである。また相対稽古で、この手の平と手の甲を水火でつかうと大きな力が出るようだし、相手も動いてくれるようである。

因みに、魄が下になり、魂が上、表になるわけだから、魄の上の手の甲に現われる気は魂ということになるはずである。息が気に変わっていくのと同様、気が魂に変わっていくのではないかと考えている。