この論文を書くにあたって、四つのテーマ(合気道の思想と技、合気道の体をつくる、合気道上達の秘訣、高齢者のための合気道)で、1000回を目指した。そして1000回x四つのテーマ=4000編の最終目標は魂の技がつかえるようになることである。
これまで試行錯誤しながら976回まで書いてきたので、残り24回となった。この残り24回でなんとか魂の技をつかえるようにしたいと悪戦苦闘しているところである。
お蔭様で、これが魂の技であり、魂の技はこのようにつかえばいいのではないかと思えるようになってきたようである。
そこで先ず、これまでの上達の方法や過程(秘訣)とこれからの魂のそれを記してみたいと思う。
これまでほぼ20年の歳月を要したわけだが、技の上達には次のような段階があったと思う。
①肉体主体の魄力による技づかい→②息で肉体をつかっての技づかい→③気による技づかい →
そして④の魂の技づかいの段階に入ることになる。
気もそうであったが、魂もつかみどころがなく、どのように技につかえばいいのかどころか、魂とは何か、魂はどのような働きをするのか等つかみようがない。気で苦労したので魂は更に苦労する事は間違いないはずである。
気に関しては大分わかってきたし、つかえるようになったので、気がわかった成り行きを踏まえればいいのではないかと思っている。例えば、気は見えないし、掴めないが、気の働き、作用は大先生が教えてくれておられた。引力と凝結力である。この二つの力が働けば気があり、気が働いている事になる。慣れてくれば、相手を凝結したり、引っ付けているのが気であると感じるようになる。そして気の力は肉体的な力より強力である事もわかる。
つまり、まずは大先生の教えに忠実に従う事が大事であるということである。
自分で頭を捻って考えだすモノではないということである。
次に、自分の体で感じることである。頭でだけではわからないということである。魂を体で感じるようになる事である。
魂である。魂を大先生は「合気道は、魂の学びである。魂魄阿吽の呼吸である。この教えにようやく体がビビット反応するようになった。これまでは『合気神髄』『武産合気』を目では読んでいたが、体で見る・読むようになったのだろう。
確かに、合気道の最終的な学びは魂であると実感する。上記の修業次元①②③の次の④となるわけである。心体の納得である。魂魄阿吽の呼吸というのも実感出来る。技は魂魄阿吽の呼吸でつかわなければならないということである。魄の土台の上、表に魂をのせ、魂で魄をつかうということである。つまり、土台の魄を先に動かすのではなく、上にある魂によって動くようにするのである。これを阿吽の呼吸でやるという事であろう。
気も魂も体でビビット感じるものだが、それでは気と魂は何がどのように違うかということになる。その違いが少しでもわかれば魂がわかってくるはずだからである。
魂の気との違いである。理合いでは、魂の力、働きは気より強烈でなければならないはずである。何故ならば、魂は気③より上位④の次元にあるからである。もし、気が魂の次元のより上で、力も気の力よりも強くないとしたら、わざわざ気の次元から魂の次元に入って苦労する意味がなくなる。気の後の未知の魂の次元に挑戦する意味がなくなる。
魂への挑戦はまだ日が浅いが、分かってきたこともある。魂は気よりも確かに強力であり、上位であるということである。気は体や息の十字から生まれる力の大王といわれるほど強力だが、やはり魂の力には及ばないと実感する。
その理由は、気の力はまだ作為的、人為的な力と感じるし、魂の力は無作為的であり、自然で宇宙的な力と感じる。大先生が魂は神といわれているようにこの魂の技こそ神技であると感じるのである。無駄なく、争いも無い、真善美を備えた神技である。これが合気道の究極な技、魂の技であり、これを学ぶ事が魂の学びということになると考える。
1000回までに何とか神技が出るようにしたいものである。