【第977回】 合気道は十字道
合気道は十字道であるとの教えに従って技や体を十字につかうように心がけてきた。その具体的な教えの例が大先生の次の道歌である。
- ありがたや伊都とみづとの合気十ををしく進め瑞の御声に
- 天地の精魂凝りて十字道世界和楽のむすぶ浮橋
これまで900回 計3、600編以上の論文を書いてきたが、その内の60編が十字に関するものであり、吾乍ら十字を重視来た事がわかる。
確かに、十字で技や体をつかえばいい技が生まれるし、そうでなければ合気の技にならないことに間違いはないのである。
しかし、正直言ってこれまで、合気道は十字道であると心の底から確信する処までには至っていなかった。手の十字、足の十字、腰の十字等などで技をつかっていると合気道は十字であると思うが、何か不完全でいま一つ何かが欠けているように思えたのである。
そしてようやくその欠けていたモノを補充し、合気道は十字道であると真から実感できるようになったのである。
それは体の横の動きと縦の動きの十字の動きである。体全体を最大限に横と縦、つまり十字につかうということである。体全体の横の動きは大木(写真)のように、縦の動きはねじ込むようにするのである。
この体全体の横と縦の十字によって、合気道は確かに十字道であると実感できたのである。勿論、手も、足も、腰も十字に働いているし、働かなければならないが、それは体全体の十字と比べれば脇役的であるように感じる。
これまでは手や足などの体の部位の十字であったため十字の自覚も小ぶりで、完全に満足出来なかったものと考える。
この縦と横の体づかい、動きは本来別物であるが、技としてつかう場合は一緒にしなければならない。一緒にするものは何か、どうするかというと水火であると思う。水火によって体の横の動きと縦の動きを一致させてつかうのである。つまり、水火に横と縦の動きと技を組み込んでいくという事である。
ようやく合気道は十字道であると実感したわけであるが、これはこれまで頭でわかり、頭が了解したというだけでなく、身体が了解したということである。つまり、頭だけの了解ではまだ不十分で、体の了解が必要だということである。
最近が合気道は十字道のほかにも体が了解してくれたお陰で本当にわかったことがある。それは次回に書くことにする。
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