近頃は大先生が云われているフトマニ古事記で技をつかうように心がけている。お陰で以前とは違い、合気道らしい技がつかえるようになってきた。布斗麻邇御霊の水火と五声の言霊で技をつかうのである。そして分かったことは布斗麻邇御霊の水火で技を掛けなければ合気の技にならないということと、この布斗麻邇御霊の水火をつかうためには五声(言霊)“あおうえい”(有性、無声)をつかわなければならないということである。
“あおうえい”で布斗麻邇御霊の水火をつかえるようになったが、“う”の言霊だけがよくわからないでいたのである。大先生は“う”を「ウ声はみ魂を両分して、一つは霊の根源を生み、一つは物質の根源を生んでいる。」と教えておられる。他の言霊、“あ”“お”“え”“い”は一面のようである。頭では分からない事もないが、体では全然わからないでいた。
最近、水火で技をつかうようになって、息を吐く水のときは手の平に気を流し・満たし、息を引く時は手の甲に気を流し・満たすようになった。“あ”は手の甲、“お”は手の平、(“う”をとばして)“え”は手の甲、“い”は手の平となる。さて、とばした“う”であるが、“う”は手の平と手の甲に気を流し・満たすのである。“う”で手の甲/手の平の両面に気を流し・満たせば強力な力が出るし、逆に手の平か手の甲の片方だけでは十分な力は生まれないということである。
しかし、ここで大事な事は“う”のみ魂には二つのみ魂があるということであり、一つは霊の根源となるものともう一つは物質の根源になるものである。そして水火の手の甲が霊の根源、手の平が物質の根源を生むもののように感じられるのである。この“う”で技をつかい、相手に接すると手の平で相手を凝結させ、手の甲で相手を浮き上がらせているように感じる。
“う”には二つのみ魂が働いている事を体でも実感でき、わかったという次第である。
因みに、“う”には二種類ある。一つは霊界をつくる「すーうー」の“う”である。この“う”も成長して“あー”と“おー”に分かれる。そして二つ目の“う”である前述の“あおうえい“に繋がる。これを大先生は、「始め霊界を造らねば気は生まれぬ。”スーウー“スは成長してウ声に移り、ウは成長して二つに分かる。・・”ア“が生まれる。天からの気が下がって”アオウエイ“」と教えておられる。考えるに、「スーウー」は天地創造、“あおうえい“は神生み、島生みの言霊であるということだろう。