【第973回】 老後の合気道

傘寿を越えたので老後の合気道について考えてみたいと思う。
これまで合気道の論文を書くために、若者と高齢者という言葉をよくつかってきた。しかし、高齢者という言葉が合気道では何かしっくりしないと思っており、そろそろ何とかはっきりさせたいと思っていた。そこで今回のタイトルを期にはっきりすることにした。
本来なら、このタイトルは「高齢者の合気道」となるはずだが、敢えて「老後の合気道」とした。そこで先ず、老後と高齢者の定義を区別をすることにする。

高齢者は、公の年齢がある。
現在、わが国では65歳以上を高齢者、そのうち65〜74歳を前期高齢者、75歳以上は後期高齢者と定義している。 他国を見ても60歳以上を高齢者としている国もあるが、多くの国は65歳以上のようである。
但し、日本では行政上の目的によって異なる。例えば、「改正道路交通法」では70歳以上を「高齢者」とする。
世界保健機関(WHO)では65歳以上を高齢者としている。
高齢者(公的表現)の別の呼び方がある。例えば、「シニア」「シルバー」(60代)、「熟年層」(55〜59歳)、「老人」「お年寄り」(80〜84歳)

老後の明確な年齢はなく、一般的な年齢と個人的に異なる年齢があるようだ。
全体を平均すると男女ともに67歳くらいからを老後と考えているようであり、老後を次の状況になった場合を考えているようである。

それでは合気道の世界ではどうなるだろう?
公の高齢者(前期高齢者、後期高齢者)の年齢は決まっているわけだから、老後の合気道の老後が問題となる。老後の定義は人それぞれ違うようなので、自分で定義すればいいはずである。
自分としては、老後とは合気道の稽古、修業が出来なくなったら老後と考えているが、これでは老後の合気道はできないことになってしまう。老後は死となるわけだからである。
故に、もう一つの老後を考える事になる。例えば、上記の「身体が思うように動かないと感じたら」老後と定義することである。

実は、83歳の今はまあまあ元気になったが、以前「身体が思うように動かないと感じた」のを経験し、それに挑戦し続けているので、これが己の老後であることを実感出来るのである。
そして更に、老後からいろいろなことを学んでいるのである。故に、合気道の精進が更に続いているということである。つまり、合気道は老後でも続ける事ができるということである。勿論、この老いの前とは、精進(稽古、修業)の方法は変わってくる。何せ、身体が衰えるわけだから、若い時のように力と勢いで技をつかう事、身体主導の稽古など出来なくなる。老いの前の稽古、修業は出来なくなるので、老後に相応しい稽古、修業をしなければならなくなる。しかしながら年を重ねていってもそれなりに合気道は上達していかなければならない。そうでなければ合気道を長く続ける意味がない。身体が衰えようが、力が弱くなろうが上達しなければならないのである。

そのために老後の稽古をどうしたかというと、若い時の肉体的・物質的な魄の稽古から体力や勢いに頼らない稽古に入いるべく努めたのである。そしてより強力な力(力の大王)である気を見つけ、つかうようになったのである。そして分かった事は、老後は魄力ではなく、気で技をつかうようにしなければならないということである。

更に、老後は道場の相対稽古で若い頃のようには動き回れないので、速さや勢いの稽古ではなく、法則に則り、理に合った技づかいと体づかいと息づかいをゆっくり正確に、技と動きに無駄がなく、理に適うようにしている。
毎回の道場稽古のために、その朝の禊がますます大事になって来る。禊から見つけた理を技で試すとか、何者かからいろいろな指示があるのでそれにも挑戦するのである。
大先生は、毎日、禊をするようにすすめておられるが、老後は禊がますます大事になるようである。因みに、若い頃は、あまり禊など出来なかった。忙しいこともあったが、その重要性に気がついていなかったのである。老後は時間も余裕もあるので、毎朝、禊を楽しんでいる。

老後は、「身体が思うように動かない」わけだから、身体を思うように動くようにしなければならない。身体が思うように動かなくなれば老後の合気道を続ける事が出来なくなるからである。大先生が魄を大事にしなければならないとか魄が土台となるということを言われているが、正にこの事であろうと痛感した次第である。
私も一時、しっかり立つことも、歩くのも、動くことも出来なくなったので、何とか思うように動けるようなるよう頑張った。
はじめは、若かった時のように、走ったり、山登りをしたりしてみたがどれも長く続ける事はできなかったし、全然よくならなかった。若い頃とは身体が変わっていたのである。若い頃は、自分の筋肉や体で動いていたので、思うように動けなくなるのは己の筋肉や体の衰えが原因なので、筋肉や体を鍛えればいい。しかし、老後の体が思うように動かない原因は、その身体的な衰えだけでなく、他の原因があるのである。

それは天地・宇宙との繋がりと交流が弱まる事である。天地・宇宙の気、天地・宇宙の呼吸と身体との繋がりが弱くなり、身体が思うように動かなくなるということである。故に、天地・宇宙と身体を結び付けるような生活、稽古をすればいい事になる。禊は天地・宇宙から気などのエネルギーが貰えるのでいいわけである。
老後の合気道の道場稽古は、天地・宇宙の気と息に合わせて技をつかうようにしている。日常、街や家を歩く際も水火の吐く息・引く息に合わせている。朝、床から起き上がる際、目まいがしていたが、起き上がる際、右螺旋で息を引き天に上げ、左螺旋で息を吐き地に下ろし、そして右螺旋で息を腹に収めると目まいは起こらなくなった。
また、食時から天地・宇宙の気やエネルギーを頂く事ができるから、食事は大事である。若い頃はカロリーを摂るのが主だが、老後の食事は天地・宇宙のエネルギーを頂く事が主になると考える。

老後の合気道もまた楽しいものである。若い頃も楽しかったが、老いてもなお楽しである。若い頃には気がつかなかった事、分からなかった事、出来なかった事を体験できるのである。合気道は年を取ったから出来ない、老後は出来ないではなく、楽しめる一生ものである。