【第973回】 四つの宝と水火と天の浮橋

長年、技の稽古をし、大先生の教えである『武産合気』『合気神髄』を繰り返し読ませて貰っていると、大先生が如何に真剣、懇切丁寧に我々に合気道を伝えようとされているのがわかって来る。特に最近は、合気道の真の技をどのようにして生み出していくのかを懇切丁寧に教えておられるのが分かった。というのは、これまで大先生は技など細かい説明や会得の方法などはされないものと思っていたからである。しかし、合気の技を身につけるためには、これは身に着けなければならないし、そのためにはこうしなければならない等と懇切丁寧に教えておられるのである。勿論、大先生の説明は顕界での一般的な説明とは異なる。幽界、気の次元でないと理解は難しいはずである。

例えば、「合気道は、どうしても天の浮橋に立たなければなりなせん」とか「日月の気と天の呼吸と地の呼吸、潮の干満とこの四つの宝を理解せねばいけない」である。つまり、これらが理解出来なかったり、やらなければ合気道にならないということを具体的に教えておられるのである。勿論、この教えを理解して身につけて行くのは簡単ではない。が、その挑戦が稽古であり修業なのである。恐らくこれも大先生の教えのはずである。

私の場合、長年稽古をしていることもあって、大先生の教えは大分わかってきたが、この四つの宝をまだ十分に理解していなかったし、天の浮橋に立つことの重要性もよく分かっておらず、天の浮橋に立てていなかった。
そこで四つの宝と天の浮橋を改めて勉強することにする。
まず、四つの宝である。四つの宝とは、①日月の気 ②天の呼吸 ③地の呼吸 ④潮の干満である。
①の日月の気は天地と自分を結ぶ気と考える。②その天と息を結ぶのが天の呼吸 ③地と結ぶのが地の呼吸。縦の呼吸である。④潮の干満は横の息づかいで横に息を引き(満)、息を吐く(干)である。
しかし、この四つの宝を実感し、息づかい・呼吸するのは容易ではないはずである。
これを実感し、理解するためにはこれまでつかってきた“水火”に働いてもらわなければならないと考える。水火のつかい方は次の通りである。

  天地を気で結ぶ 水火     注:天の気は陰陽
  天の呼吸    火   ━
  地の呼吸    水   |
  潮の干     火   ━
  潮の満     水   |    
  ─────────────────
              十字 = 天の浮橋

「この浮橋にたたなして合気を産み出す。」(「合気神髄」P.129)つまり、この天の浮橋に立ったところから技をつかわなければならないということなのである。これを大先生は、「天の浮橋に立って、まず島うみ神うみから始まるのです。これを言霊(ことだま)の妙用によってなすのです。」(武産合気P.43)と言われているのである。「島うみ神うみから始まる」とは、伊邪那岐神と伊邪那美神により伊予の二名島を産むことであり、「言霊(ことだま)の妙用」とは“あおうえい”である。

また、大先生は、「天の浮橋と申すのは、火と水であります。火と水の相交流すること、むすぶこと、むすびあうこと」と言われておられるから、水火の交流を練らなければならない。 「稽古は水火の仕組みで練る、習うている。」(合気神髄P.141)ということなのである。
水火とは、「水火結んで縦横となす、縦横の神業。自然に起きる神業」(合気神髄P151)であるという。つまり、水火から神技が生まれるという事である。また、大先生は、「この世において、目に見えざる火水が体内を通って、肉に食い入り血肉の血行となっている。これを魂という」と言われている。水火から魂が生まれるようである。
水火が神を生み、魂を生むということは、魂は神ということになるだろう。

水火のお蔭で、日月の気と天の呼吸と地の呼吸、潮の干満とこの四つの宝が分かり、天の浮橋に立つことが出来るようになったようである。
因みに、天の浮橋に立つと、技が即つかえるだけでなく、いつでも周りの変化に対応でき、殺気を感じ、危険に即対応できるようになるようである。稽古をする道場だけでなく、日常においても天の浮橋に立っていなければならないと思う。そのためには、体も十字でなければならない。体軸(縦)と体面(横)の十字である。背筋が伸び、胸や肩が張り、腰が立っていなければならない。そして腹が水(潮の満干の干)でしまっていなければならない。