【第972回】 大先生や有川先生を感じる

合気道を始めて60有余年になる。こんなに長い間やっているのにこんなものなのかと思いながら稽古を続けていたが、最近、ようやく合気道をやっていると実感出来るようになってきた。開祖植芝盛平先生が求めておられ、われわれに教え、導きたかった合気道とはこれだろうと思えるようになったのである。
合気道の目的は地上楽園、宇宙天国の建設であり、そのためには宇宙と一体にならなければならない。宇宙と一体化するためには身体と心を錬磨しなければならない。そのために宇宙の法則・営みを形にした技を身に着けなければならないということである。
これは大先生の合気道の総合的、全体的な教えであろう。大先生が我々稽古人達に何度も何度もお話になっていたので、その時のお姿やお声を思い出す。

しかし、これだけでは宇宙の法則に則った合気の技はつかえない。そこで大先生の教えが詰まっている『合気神髄』『武産合気』を繰り返し々々読んできた。毎回、少しずつ大先生の難解な教えが氷解してきて、今ではだいぶ分かってきたところである。
合気道において分かるという事は、日常生活などでの分かるとは多少違う。日常生活での分かるとは、頭で理解したということであるが、合気道での分かるは頭で理解する事の上に、体が分かる事である。体が分かるとは、体が感じ、体が納得することである。更に、体で再現できることである。
大先生の教えが分からないのは頭で分かろうとし、体で分かろうとしないからということになる。だから、技でも再現できないのである。

例えば、“魄が下で魂が上にならなければならない“などその典型であろう。
これを頭でいくら考えても分からないはずである。私自身がそうだったのでよくわかる。しかし、これが分からなければ先に進めない事も分かっていたので試行錯誤することになる。そして、ある時出来るようになった。
毎回、自主稽古でやっている片手取り呼吸法で、体がこれだと教えてくれたのである。魄が下になり、気(魂)がその上にくると強力な力が働き、これまでの魄の力とは比較にならない力が出て来たのである。そうすると大先生が云われておられたのはこの事だろうと体(肌)で感じると共に大先生を感じたのである。
また、有川先生が、「(片手取り)呼吸法」の出来る程度にしか合気の技はつかえない」と言われていたことがよく分かるようになった。片手取り呼吸法で、魂(気)が魄の上になる技がつかえたとき、やっとできたかという有川先生の顔を感じた。

有川先生は、魂が魄の上になるの稽古には、呼吸法が最適であるということを我々稽古人達に伝えようとされていたと感じるのである。晩年の有川先生はそれが上手く出来なかったことを歯がゆく見ておられていたと思うが、心の中では頑張れよと応援して下さっていた事が分かる。
これからは、大先生や有川先生の教えに従うよう、反しないように気をつけ、大先生や有川先生を感じ乍ら稽古・修業を続けていくつもりである。